混雑した電車内のベビーカー あなたは許せる?許せない?

電車内でのベビーカーに対する非難の目が加速している。

 

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日本民営鉄道協会の発表した2014年度迷惑ランキングで、7位にランクインした。前年度比1.6%の増加で、3年連続増加中だ。

 

迷惑行為のランキングは以下のとおり。

◇駅と電車内の迷惑行為ランキング
 (1)騒々しい会話・はしゃぎまわりなど 33.2%
 (2)座席の座り方 31.7%
 (3)乗降時のマナー 27.9%
 (4)携帯電話・スマートフォンの着信音や通話 24.7%
 (5)ヘッドホンからの音もれ 24.5%
 (6)荷物の持ち方・置き方 22.3%
 (7)混雑した車内へのベビーカーを伴った乗車 19.5%
 (8)ゴミ・空き缶などの放置 16.9%
 (9)車内での化粧 16.5%
 (10)酔っ払って乗車する 14.6%
 (11)喫煙 13.2%
 (12)電車の床に座る 13.1%
 (13)混雑した車内での飲み食い 11.4%
 (14)混雑した車内で新聞や雑誌・書籍を読む 9.6%
 (15)電子機器類(携帯ゲーム機・PCなど)の操作音 7.0%

 ※日本民営鉄道協会調べ。2014年度の男女総合。3項目までの複数回答  毎日新聞

 

ベビーカーへの不満といえば、数年前からにわかに脚光を浴びてきたトラブルだけに、今後も増加することが懸念される。

昨年の3月、事態を重く見た国土交通省が「電車やバスでベビーカーを折りたたまなくて良し」とする基本ルールを発表。PR活動にも力を注いだが、浸透していない現実が明らかとなった。

 

興味深のは男女別の感じ方の違いだ。男性が昨年度比1.6ポイント増の16.5%が、ベビーカーを迷惑行為として選択したのに対し、女性は2.8ポイント増の30.2%となっており、男女で倍近い開きがある。

同性に厳しいのは世の常だが、特に中高年の女性からの非難が大きいのが特徴だ。

昔、車内では【おんぶ(だっこ)紐】を使っていた「元子育て世代」のお母様方からすれば、ベビーカーなど非常識極まりない!ということらしい。

 

確かに中高年のお母様方の意見には一定の理解はできるが、時代が変わったのも事実。以下にいくつか時代の変化を書き出してみよう。

①ベビーカーの普及

昔は殆ど見られなかった、おしゃれで機能的なベビーカーが普及した。

②女性の活動範囲の拡大

一にも二にも女性は自宅で家事という時代から、女性も大いに社会進出する時代に。仕事に、ママ友とランチにと、小さな子供がいても、出歩くママさんが増えた。

核家族

女性の社会進出は増えたが、核家族化によりひと家族当たりの人数は減少。親の外出時に子供を見てくれる身内がおらず、子供を連れて外に出ざるを得ない現状がある。

④子供の数の減少

子供の数も減った。今や1人子も珍しくはない。良い悪いは別として数が多い分、必然的に大雑把に扱われていた子供達が、今は過保護なくらい大切に扱われている。

⑤肝っ玉母ちゃんの減少

今の女性が弱くなったと言うつもりはないが、確かに昔の女性は強かった。おんぶにだっこ、手を繋ぎ・・・。多くの子供を抱え、戦後の困窮と混乱、そして激動の高度性経済成長を走り抜けた日本の母親達は、皆「肝っ玉母ちゃん」だった。

 

この様な時代の移り変わりが、必然的にベビーカーの出番を多くしたのだろう。ベビーカーの増加は、今後も続く必然的な流れとして、受け入れなければならないだろう。

鉄道会社と自治体が協力して、基本ルールの周知を図り、共に気持ちよく共存できる社会の実現に努めてもらいたい。

 

最後に社会全体として、もう一度考えてもらいたいことがある。

満員電車でのベビーカーは確かに邪魔だ。私が通勤に使う埼京線と山手線は、全国トップクラス、それこそ殺人級の混み具合を誇る路線だ。ベビーカーにヤラれかけたことなど、一度や二度ではない。嘘偽りのない気持ちを言えば邪魔だ。

さらには母親の態度。大抵の母親が申し訳なさそうにしている中、当然とばかりに横柄な態度をとっている、一部の母親の態度にも問題がある。

 

しかしながら不便を強いられようが、多少母親の態度に問題があろうが、これだけは事実だ。それはその子供は、間違いなくこれからの日本を背負って立つ「社会の宝」だということだ。

今はベビーカーの中ですやすや眠っている子供に、広い意味でいずれお世話になる時が来る。ベビーカーへの優しさは、誰の為でもない。その子の為、社会の為、ひいては自分の未来の為だと思い、多少のことは多めに見てやっても良いのではないか?

ネズミを見ると一も二もなく飛びかかる猫でもあるまい。子供は社会全体で育てるものだという広い心で、ここはひとつ構えてもらいたい。

 

更に言えば事の経緯はどうであれ、子育てをする母親が居心地の悪い社会だと感じれば、少子化に拍車をかけかねない。間違いなく子供を育て安い社会の実現は、少子化に歯止めをかける為には、外せないポイントだ。

 

「ベビーカーには暖かいご支援を」

母親と子供に優し社会に向けて、小さいけれど大きな一歩だ。

何故大人になると昆虫が嫌いになるのか?

子供の頃は大好きだったのに、今となっては大の虫嫌い。

「【クワガタ】と【ゴキブリ】の違いがわからない!」という昆虫界の禁句まで飛び出す始末。

私の友人の話だ。

かくいう私も同じようなものだ。夏休みには母親の実家に帰って、虫を捕まえるのが大の楽しみだった。

それが今となっては、当時の面影はゼロ。日々ゴキブリの襲来に怯える今日この頃である。ゴキブリならまだしも子供の英雄、カブトムシやクワガタさえも、好んで触りたいとは思えなくなった。昔はあんなに必死に追いかけていたのにと思うと、寂しくさえある。

何故人は大人になるにつれて虫が嫌いになるのか?

こう言ってしまえば身も蓋もないが、一言で言ってしまえば「気持ち悪い」からに他ならない。

人間も動物だ。自分の仲間とそれ以外を判断するために、自分により近いものには親近感を覚え、自分とは異型であればある程、嫌悪感を覚えるように本能が備わっている。つまり人間とは全く似ても似つかない形状を持つ昆虫は、本来人間にとって嫌悪感の塊だ。

ところが子供にはその本能をも凌駕する程の「知的好奇心」がある。故に子供は虫に対して、抵抗が無い。

 

青天井の好奇心を満たす為に、随分残虐なこともしたものだ。

・カマキリとトンボやバッタを同じ虫かごに入れて、食べられていくのを観察。

・巣から出入りする蟻を永遠と踏み続ける。

・トンボやバッタの羽や脚を全て引っこ抜く。

・ムカデを真っ二つに引きちぎる。

・弱らせた蜂の針を引っこ抜く。

ダンゴムシを丸まらせては、片っ端から踏み潰す。

・蝶の羽をクリップやホチキス留めして放置。

・カナブンを線香花火で焼き殺す。

・トンボの尾っぽを引きちぎって、代わりに藁〔わら〕を差し込んで飛ばす。

・蛙の肛門にストローを差込み、破裂するまで膨らませ続ける。

 

考えられる限り、残虐の限りを尽くしたものだ。思えばゴキブリほいほいにかかったゴキブリさえも、なぶり殺しにして、楽しんでいた記憶がある。

みな同じようなことを経験してきたことだろうが、これが人間の世界なら、一昔前までの子供はみな、歴史に名を残す悪帝ということになる。

 

ところが大人になり、この青天井だった好奇心が満たされ、陰りが出てくる。途端に本来の異型のもモノに対する嫌悪感が頭をもたげる。

その結果気持ち悪いから嫌い!となる訳だ。

見た目のグロテスクさに加え、噛み付き、針、毒、臭いといった、昆虫の自己防衛機能の餌食となり、或いは他から知り、益々嫌いになってゆく・・・

子供の頃は大好きだが、大人になったら大嫌いになる。これはある意味極自然なことだという訳だ。

分かってしまえば何てことは無いが、この先普通に生活していれば、虫が好きになる日は来ないんだろうなと思うと、なんだかちょっと悲しい気もする。

 

ところで気になるデータ結果がある。

自然と触れ合うことの少なくなった現在では、子供でも虫に触れられない子供が急増中なんだとか。

大阪府高等学校生物教育研究会が発表した調査によると、25年前に比べ、虫嫌いは倍増しているという。

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都市化が進み、自然と触れ合う機会も場所もなくなったことが大きな原因だ。また少子化で親が過保護になり過ぎて、自然の中で遊ばせなくなったり、そもそも親自身が虫に触れられなかったりすることも、関係しているらしい。

未知のモノに興味を持つというのは、非常に大切なことだ。好奇心からくる情熱、そして経験は、後々様々なモノを我々にもたらしてくれる。そういった経験が出来ないことは、大いなる損失だ。

また、我々を含めた古い世代にとって、虫は鉄板ネタだ。

「昔はあんなに好きだったのに、今となっては・・・」などと世代を超えて、共通の話題で盛り上がれなくなるのも寂しい話だ。

 

今年も東京ではセミを元気に追いかけ回す、子供の姿が見られないのだろうか・・・

【騙された!】お粥は消化に良くないって本当!?

気温の乱高下の激しい季節。気を付けていてもつい体調を崩しがちだ。

ところで風邪の時の定番メニューといえば、

 

「カツ丼」肉多めで!

 

冗談はさて置き、やはり「お粥」でしょう!

 

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卵なんぞを割り入れて、或いはシンプルに梅干だけで・・・

家庭毎のスタイルがあるだろうが、食欲のない時でも、さらっと食べられ、消化にも良い。もはや風邪の時には欠かせない定番の国民食

しかし!

実はお粥は決して消化が良い食べ物ではないらしい。

わかめを食べても髪が黒くならない、卵は1日1個までしか食べてはいけないなど、案外食品に関する「昔からの定説」には間違いが多い。

お粥が消化に悪い食べ物、と言われる理由は大きく2つ。

①咀嚼〔そしゃく〕の回数

お粥を食べるときの時のことを、思い出して欲しい。

「カレーは飲み物」ならぬ「お粥は飲み物だー!」とばかりに、ろくすっぽ噛みもせず、グビッっといってはいないだろうか?

もっともタダでさえ体調悪い時に、じっくり噛んでる力も気力もないだろう。

誰しも小さい頃に親から「ご飯はよく噛んで食べなさい。」と言われた経験は、一度や二度ではないだろう。食べ物は30回噛むことが理想と言われるが、咀嚼〔そしゃく〕することで、食べ物が細かくすり潰されると同時に、唾液の分泌を促す。

この唾液の中に含まれる酵素が、歯で細かくされた食べ物を、さらに細かく消化する。消化というとすぐに胃や腸を思い浮かべてしまいがちだが、実は口の中も重要な消化工程のひとつなのだ。

ご飯を煮たお粥そのものは「イカ」や「ゆで卵」など、消化が悪いと認知されている食品と比べると、むしろ消化しやすい部類に入るだろう。

しかしろくすっぽ噛まずに胃へ送られることで、たちまち消化の悪い食べ物へと変化してしまうという訳だ。

②隠れた伏兵

ひとつ目の理由は「食べ方」による理由だったが、もうひとつは「お粥」そのモノの特性だ。

それはお米の「皮」。

実はお米で一番消化が困難な部分は、表面を覆うお米の皮だ。

お米を煮るとこの皮が剥離し、おもゆ(お粥のたっぷりの水分)に流れ出す。

先程の話にも通じるが、通常のご飯の状態であれば、歯で砕かれ、また磨り潰され胃に送られるところだが、液体状のお粥では細かく砕くことは難しい。また前述の通り、体調面からその気も起こらないことも多い。

これらの状況から導き出されるお粥の真実とは・・・

“Give me a truth” 

「消化に悪い」

ということだ。

 

フードプロセッサーやジューサーで粉々にして、文字通り「お粥=飲み物」にするしかないだろう。

それにしても幼少の頃から、何の疑いもなく信じてきたことだ。長年当たり前に教えられてきたことがこうも簡単に覆されるのは、かなりショックだ。

 

何だかショックで風邪でも引きそうになる。

消化に良いお粥でも食べて、早く寝るとするか・・・

 

 

合わせて読みたい!いや、読んでいただきたい!

いやいや、読んでくださいm(__)m!

world-news.beauty-box.tokyo

「夫婦は常に妻が正しい。理由はない!」の理由

はてな匿名ダイヤリーに投稿された気になる投稿を取り上げた、はてなニュースの記事。

 

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 (Photo by sebadore)

 

妻がエネループを時計に入れると言ってきかない。「はてなの風景45」

壁掛け時計の電池が切れて、買い置きがないとき、エネループ(充電できる電池)を使うべきでしょうか。匿名の投稿者の家庭では、妻が「エネループを時計に入れるといってきかない」といいます。夫の言い分は、エネループはマウス用に買ったものだし、そもそも回転率の高い家電に使うべきだ、というもの。一度入れてしまうと長く取り替えない時計に使いたくないと主張しましたが、妻は「どっちでも同じだ」と譲りませんでした。
 

はてなニュース

 

 はてなニュースでは気になるコメントも抜粋している。

・トンチの効かせたコメント

「『君と一緒にいると時間が止まってしまえばいいのにと思うよ、そうあの時計のようにね』って言って抱きしめるのが正解。今夜は私にあなたのエネループを充電させてねってやかましいわ」

「んなもん、適切な電池の設置によるエネルギー効率と、パートナーとの間の関係性維持コストとを比較すれば、エネループを時計に入れるに決まってるじゃん」

 

・真面目?なコメント

「最初はエネループを入れて、単三を買ってきたら入れ替える」 

 

「マジレスすると時計やリモコンなどの微弱電流しか使用しないものにエネループは向かない」

「『もてあましている』エネループなら、使い捨て乾電池との差額は埋没費用として考えるのだろうが、『マウス用』にリザーブしているのならそれは実質的に『使用中』であり、設問の条件が適切でない」

 

男のロマン?的コメント

「壁掛け時計にはマンガン電池。それが男の選択ってもんだろ」

 

しかし、思わず感心してしまったコメントがこちら。

「夫婦は常に妻が正しい。理由はない」

 

夫婦は常に妻が上!この手の意見はまま聞かれることだが、いつ聴いても秀逸だ。

 

男性は良くも悪くも理論的に物事を考え、それに基づいて行動しようとする。

それに対し女性は理論よりも、感情で動く生き物だ。理論や理屈など何の役にも立たない。正に「立て板に水」である。

そう考えれば理論的にどうこうしようとする人間が、理論を超越して動く人間に勝つことなど不可能だ。

それこそ人間と神の戦いに似ている。

 

前に数人で心霊スポットに行った。
ラップ現象にギャーギャー騒ぎ立てる女性に、いくら霊と言われるモノの正体の殆どが、科学的に立証されているか説明したが、全くの徒労だった。
 「霊はいるのよ!」と一喝されて終わりだ。
それでも食い下がろうとする私に、
「そんなこと言ったって、怖いものは怖いのよ!」と、悲鳴にも似た雷が落ち、黙るしかなかった。
 
 話が逸れたが、最後はこのコメントで締めたい。
妻の言いたいことはたった一つだけ。『何でも良いから今すぐ時計を動かせ。』」
 
「黙ってコンビニで単三電池買ってこい」
 
「言い得て妙」である。
 
もっともこんなことを真剣に考えている時点で、「理屈っぽい」訳である。

セウォル号沈没事件‐韓国政府の最大の過ちとは?

セウォル号沈没事故の責任を問う裁判で、当時の海洋警察・救助艇長に懲役4年の実刑判決が下ったことが明らかになった。

 

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 http://www.bbc.com/news/world-asia-27032144

 

海洋警察が適切な救助を行っていれば、乗員全員の命は十分に助けられたと裁判所が判断した結果だが、それにしても海難事故で最も頼るべき存在のひとつであるはずの海洋警察に、みすみす見殺しにされたとあっては、犠牲者も浮かばれまい。

 

事故当初は「海運会社と船長、乗組員の無責任な態度が直接的な原因」だと、声を荒げていた朴大統領だったが、この判決により国にも非常に重大な責任があったことを、明確に裁判所が示した形となった。

死刑に値するとまで言われた船長、身勝手な船員達、杜撰〔ずさん〕な管理会社、プロ意識の欠片もない海洋警察など、正に韓国社会の闇を照らし出したような事件だ。

船員達には懲役5年~30年の実刑判決が下り、一番最初に逃げ出した船長には懲役36年の実刑判決が下った。

しかしながら、やはり一番の元凶は間違いなく国だ。

 

海難事故にまつわる有名な話に「カルネアデスの板」という話がある。

舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、
乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、
壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、
同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人が
つかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、
後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。
その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、
罪に問われなかった。

 

カルネアデスの板」(ウィキペディア

 

簡単に言えば自分が助かる為なら限度はあるが、基本的には他人を殺してしまっても仕方がない、といったところだ。

これはあくまでも物語の中での出来事だが、実は日本にもこの様な事件が起こった場合に、適用される法律が存在する。刑法第37条の「緊急避難」がこれに当たる訳だが、現在多くの国がこのような事件に対して、同じように「殺人致し方無し」というスタンスを取っている。

これをもって「だから船長以下船員の行動は、ある程度仕方がない!」なんて言うつもりは勿論ない。(そもそも、船長は最後まで乗客を守る義務がある。)

しかし緊急時において、自分の命を守る為なら、他人を殺しても構わないと、多くの国の法律に明記されている。何が言いたいかといえば、人間とは「かくの如く自己中な生き物」だということ。

皆さんは自分が確実に死ぬとわかっている、或いはそこまでいかなくても命の危険にさらされているかも知れない状況でも、他人の為に自分の命を犠牲にできるだろうか?

私は自分も含めて、多くの人間にとってそれは非常に困難なことだと思っている。そう考えれば事故が起こった時、人間が常に道徳的に正しい行動をとることを前提にして、対策を考えているようではダメだということだ。

何度も言うが人間とはとても自己中心的な行動をとる生き物だ。

これを前提にして考えるならば、船長が逃げる必要など全くない(つまり沈没しない)状況を作ることは大前提だが、極論を言ってしまえば例え事故が起こって船長がまっさきに逃げても、全ての人間の命が助かる対策くらいまで、真剣に考えているようでなくては甘いということだ。残念ながら韓国政府には、この様な心構えは微塵も感じられなかった。

最後に日本の災害対策に目を向けてみよう。世界に的に見ても、日本の災害に対する対策・対応・準備は実に素晴らしい。

2011年に日本で起きた「ありあけ号」沈没事故。高波を受けてコンテナを留めてあるチェーンが切れ、コンテナが片側に寄ってしまったことにより「ありあけ号」が沈没した事故だ。「セウォル号」とは同型の船体であり、沈没の経緯も非常によく似ている為、何かと比較されている。この事故を受けて国土交通省は、積荷の固定装置の取り付け義務や、固定方法の改善、さらには荒天候時の積荷制限など、即座に大幅な規制を発令した。

「もしも」の時に備え自衛隊海上保安庁、全国の警察は事件や災害に対する厳しい訓練に耐え、学校や自治体では避難訓練やら集団下校やら、もしもの時に備えた準備に余念がない。

「もしも」が現実のものとならぬよう、お役所は目を光らせ、企業では上司が事あるごとに、安全性だのコンプライアンスだのとがなり立てる。

留学やバックパッカー時代など、実に様々な国を見てきたが、ここまで徹底している国はまずないだろう。

それは取りも直さず日本人が「事故は起きるものであり、人間とは常に適切な行動が取れるとは限らない生き物だ」ということを、きちんと認識しているからに他ならない。

 

どんなに用意周到に対策・対応・準備をしようとも、残念ながらそれでも災害による犠牲を完全に無くすことは出来ない。日本政府や自治体が対策不足だと叩かれている姿を見て、韓国政府の認識の甘さを改めて思い知らされる。

 

一国の最高機関としての政府が打ち出す安全対策は、ほんの少し間違うだけでも、即、大勢の人の命に直結しかねない非常に重要なもの。故に常に「最悪の最悪」を想定したものでなくてはなくてはならない。

多くの人間の死を無駄にしない為にも、この事件をきっかけに韓国政府が変わってくれることを願って止まない。

選挙投票権は「権利」 or 「義務」 何故行かなければならないのか?

埼玉県所沢市で行われた住民投票の結果が、あまりにも酷いと波紋を呼んでいる。

航空自衛隊入間(いるま)基地に近い小中学校にエアコンを設置するかどうかを問う埼玉県所沢市住民投票が15日に投開票された。賛成が5万6921票で、反対(3万47票)を上回って過半数を占めた。投票率は31・54%で、4年前の市長選(34・68%)を下回った。

開票結果に法的拘束力はない。条例は賛否いずれかが有権者数の3分の1(約9万3千人)以上に達したら結果を重く受け止めるよう市長に求めたが、投票率自体が3分の1を下回った。今回の住民投票にかかった経費は約4千万円。

朝日新聞デジタル

 4千万円の費用と大勢の人間の時間と労力をかけて行われた住民投票が、「賛成」「反対」どちらも有効とされる3分の1の票を集められずに、単なる徒労に終わったという内容だ。

 

最近では国政選挙ですら、投票率が50%付近をウロウロする状況が続いている。

 

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思い起こせば昨年の12月末に行われた衆議院選挙投票率は、戦後最低となる52.66%だった。国民の半数が、国の行く末を決める場に顔すら出していないというのは、何とも嘆かわしい話が、日本で一番重要な選挙と言っても過言ではない選挙がこれなのだから、多くの日本人にとって、選挙の価値とは地に落ちる寸前、と言っても過言ではないのだろう。

 

皆さんはきちんと投票所に足を運んでいるだろうか?

 投票は国民が果たさなければならない、重要な義務のひとつだ。投票なくして、世の中がどうのこうのと語る資格はない。

こんなことを書くと必ず投票は「義務」ではなく、「権利」だと言う人がいる。しかしながら、権利というものは、往々にして義務と表裏一体だということを、忘れてはならない。

日本という国が民主主義国家である以上、国民の代表たる国会議員や、自治体の議会を構成する議員、時には法令を自分達によって決める権利がある。

しかしながら裏を返せば、これらを自分達によって決めなければならない義務があるということだ。こうした活動すら満足に行われていない現状に、一体何が民主主義国家だと言えようかと、恨み節のひとつも言いたくなる。

 

「自分ひとりくらい投票しても変わらない」と言う人がいる。

もし自分がそう考える人間のひとりならば、自分の周りに、同じことを言っている人がどれ程存在するか、考えてみて欲しい。如何に多くの力が失われているかということに、気が付くはずだ。

 

「投票したい立候補者がいない」と言う人がいる。

それならば自分の素直な気持ちを投票用紙に書いて、投票してみては如何だろうか?

仮にとある選挙の投票率が80%を超える高いものだったとしよう。その内半数以上の投票用紙に、「投票に値する立候補者無し!」「お前らなんかに政治は任せられない!」「選挙権放棄!」といった内容が書かれていたとしたらどうだろう。社会に与える衝撃はどんなものだろう?少なくとも役所から届いた投票所入場整理券を破り捨て、見なかったことにするよりは、よっぽど意味のある行動だとは、言えないだろうか?

選挙を見て見ぬふりをして、政治家が悪いと唾吐くことは簡単だ。しかしながら本当にそう思うならば、政治家に自分達の思いを伝えられる、数少ないチャンスをしっかりと生かすべきだ。何も行動を起こさなければ、何も変わらない。それは日常の小さな出来事だろうが、国政だろうが同じことだ。

 

厳しい意見も述べてしまったが、やはり選挙権は国民の大切な権利のひとつであることに変わりはない。

自分達の代表を自分達で選ぶことが出来る、そんな当たり前の事を当たり前に出来る喜び。板垣退助後藤象二郎らが、この素晴らしい権利を求め、命懸けで闘ったのは、今からほんの140年前のことだ。

残念ながらまだまだ世界には、独裁者による圧政に苦しみながらも、当たり前のことを当たり前に出来ない国に暮らす人々も、大勢いることを忘れてはいけない。

 

奇しくも選挙権年齢が「20歳」から「18歳」に引き下げられることが決まりそうだ。若者の意見発信や投票数の下落に歯止めがかかることを期待する一方、未熟な未成年の政治参加が、政治に悪影響を与えるとの懸念もある。

 

メリット・デメリットがあるのは仕方がないが、この政策が成功するか否かは、我々既存の有権者にかかっている。我々先輩が依然として投票に無関心では、新たに選挙権を獲得する人間の誰が投票に行くだろうか?

まずは我々が行動で手本を示すべきだ。積極的に政治参加し、或いは学校・職場、様々な場所で意見を交換することで、下の世代に政治に対する関心を高めさせ、政治に対する見る目、考える力を与えることだろう。

 

世界に誇る民主主義国家日本の未来の為に!

偉大なる祖先達に感謝しながら、自らに与えられた素晴らしい権利を、思う存分行使していきたい。

映画やドラマで実写化されると原作コミックの中古価格は高等します!

映画やドラマ化が決定すると、原作コミックや関連グッズの中古市場価格が高騰するのはあたり前の話。

とある知り合いが、どうしても「今」売りたい漫画があるとのことで、休み返上で古本買取に行ってまいりました。

その漫画の正体とは???

 

 映画やドラマで実写化されると原作コミックの中古価格は高等します!

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飛行機事故(航空機墜落)の確率と「乗客に日本人はいません」の謎

誰もが気になる飛行機事故に遭う確率とは?

 

少し前に台湾でトランスアジア航空235便が墜落する事故が起きた。

 去年からマレーシア航空が立て続けに墜落事故を起こした影響か、航空機の墜落事故がやたらと多いような気がする。

 

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2014年3月8日 マレーシア航空370便 乗客乗員239人不明

2014年7月17日 マレーシア航空MH17便 乗客乗員298人死亡

2014年7月23日 トランスアジア航空222便 乗客乗員48人死亡 7人負傷

2014年7月24日 アルジェリア航空5017便 乗客乗員116人死亡(推測)

2015年2月4日 トランスアジア航空235便 乗客乗員43名死亡 17名負傷

 

極めて低い墜落の確率

飛行機事故で命を落とす確率は、自動車事故で命を落とす確率に比べて、はるかに低いことは広く知られている。

しかしながら一度に亡くなる人間の数と、助かる確率が極めて低いこと、現場が凄惨を極めることなどから、人々に与えるインパクトは事故にの中でも格段に大きい。

ちなみに毎日飛行機に乗っていたとしても、航空事故に遭遇する確率は438年に1度なんだとか。

 

航空事故に遭遇する確率は、統計的に見ればごくわずか。飛行機に毎日乗っていても、事故に遭うのは438年に1回です毎日乗っても、事故に遭うのは438年に1回──はたして本当なのでしょうか。

同様な数字を、もう一つ紹介します。

 

■0.04人と0.07件

 

事故率を測る目安としてよく引き合いに出されるのが、「輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数」と「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」という二つのデータ。

今年4月に刊行された『知らないと損するエアライン〈超〉利用術』(平凡社新書)の中で、著者である航空アナリストの杉浦一機氏は「輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数=0.04人」「10万飛行時間あたりの死亡事故件数=0.07件」という統計データを紹介しています。

この二つの数値について、詳しく説明しましょう。  

 

「0.04人」「0.07件」という数値を、杉浦氏は同書の中で、具体的な例に置き換えて解説しています。

それによると、輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数「0.04人」とは東京─ニューヨーク間約1万キロを12万5,000回往復して死亡事故に遭う確率、また10万飛行時間あたりの死亡事故件数「0.07件」とは飛行時間10時間のホノルル─福岡の飛行を14万3,000回往復して事故に遭う確率で、杉浦氏はこう述べています。

「仮に週に1度往復したとしても、(前者では)2,404年、(後者では)2,750年かかることになるので、人間の人生に比べれば小さい確立といえるだろう」

この「1週間に1往復」を「毎日」に置き換えて計算してみると、先に紹介した「438年に1回」という数字とそれほど誤差はなくなります。

杉浦氏はもう一つ、さらに面白い数字を披露しています。

 

■909人対1万805人

 

これは二つとも、ある輸送機関による事故の年間死亡者数(1998年)です。

「909人」は全世界での航空事故による死亡者数であり、一方の「1万805人」は、日本国内だけの自動車事故による死亡者数(事故後1カ月以内の死亡)です。

ちなみに主要国の自動車事故死は、米国4万1,967人、ドイツ8,547人、フランス7,989人(いずれも1997年)。

杉浦氏は、これらの数字をもとにしたI・グラード氏(IATA=国際航空運送協会=広報部長)の以下の発言にも触れています。

「米国1国の車による1年間だけの死者の数でも、ライト兄弟が初飛行に成功して以来の航空機事故の死者よりも多い」

 

All About  「数字見みる航空事故の確率」

 

 航空事故で命を落とすというのは、極めて運が悪かったとしか言い様が無い訳だ。

 

 例えば日本の航空会社では、1985年に単独の飛行機事故としては世界最大の死者を出した「日本航空123便墜落事故」(死者520人 負傷者4人)以降、墜落事故は起きていない。

ちなみに航空史上最大の惨事は1977年にロス・ロデオス空港(カナリア諸島テネリフェ島)滑走路で、パンアメリカンパンナム)航空1736便とKLMオランダ航空4805便が衝突し、583人の死者と59人の負傷者を出した事故だそうだ。

 

「乗客に日本人はいません」

 航空事故といえばもうひとつ。お決まりなのが「乗客に日本人はいません」、というアナウンスだ。

 昔「THE YELLOW MONKEY」(イエモン)が発表した歌の歌詞が元で、そのフレーズが差別だ何だと、話題になったことがあった。

ニュースキャスターは嬉しそうに
乗客に日本人はいませんでした
「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう
僕は何て言えばいいんだろ

THE YELLOW MONKEY 『JAM』より

 多感な年頃だったこともあり、ちょっとした衝撃を受けたことを、今でも覚えている。

勿論これは日本国民を喜ばせる為に、流しているのではない(そうした要素が皆無かと言われれば、そうでもないだろうが・・・)。

 

「乗客に日本人はいません」というアナウンスをわざわざ流す第一の目的はこうだ。

「日本国内外(特に海外)の関係機関に安否確認の問い合わせなんぞして、ただでさえ非常事態で、てんやわんやの関係機関に、ご迷惑をおかけするようなことの無いように。」

 

実のところは極めて合理的且つ、大人の対応を促す内容のメッセージだったという訳だ。

もっとも、日本人が含まれているいないに関わらず、この手のメッセージが一切流れないこと、即ち航空事故が起こらないことが一番なのだが。

 

最も何百トンもある鉄の塊が空を飛んでいること事態、今だに信じられないことだが・・・

 

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