サハラの風

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少年法の刑事訴訟(事件)と改正の最重要ポイント‐上村遼太さん殺害‐

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上村遼太さんが暴行を受け殺害された事件で、主犯格の18歳少年1人と17歳の少年2人が逮捕された。

ネットでは既に素性が流失しており、検索すれば簡単に実名・顔写真・住所・電話番号・家族に至るまで、細かな情報を確認することが出来る。

上村遼太さん殺害で犯人の実名公開~高まるネット社会の攻撃性~ - 【世界をやんわり斬る】本と遺体とデジモノのある暮らし

 

しかし、未成年の実名報道は、少年法により厳しく規制されている。その為公式な報道機関が安易にこれを行うことは許されていない。

こうした現状に憤りを覚える人々が、少年法の改正を声高に訴えている。

 

そもそも少年法とは何なのか?

現行の少年法は戦後の混乱期における少年の保護・再教育を目的として制定された。

太平洋戦争は多くの孤児や貧困層を生み出した。生きていく為に止むなく窃盗や強盗をなどの犯罪に手を染める、或いは大人達の犯罪に巻き込まれる少年達が急増する中、彼らを一律に犯罪者として裁くことは、あまりにも無慈悲だ。

そこで昭和23年にGHQ指導の下、それまでの旧少年法に変わって制定されたのが、現行の少年法だ。

 

これをもって少年法とは【戦後の混乱期に少年を保護する為に作られた、時代錯誤の法律だ」という人間がいるが、それはいささか乱暴だ。

それは年齢が若ければ若い程、人格を再形成出来る可能性は高くなるからだ。

勿論犯罪は憎い。しかし社会的な貢献度や損失を考えれば、犯人を長期間刑務に服役させる、或いは安易に死刑にしてしまうより、その人間がきちんと社会復帰し、まともな人生を送ってくれる方が、はるかに社会に還元される利益は大きい。

 

然しながら凶悪犯罪の低年齢化が問題となっている昨今、犯罪者を自動的に20歳未満の「少年」か、それ以上の「成人」かで線引きし、少年だからと言って無条件に特別扱いして良いのかと言えばそうでもない。

こうした動きを受けて、2007年に少年法が改定された。

実名報道規制以外の主な少年法の特徴をあげてみたい。

①基本的理念は保護・再教育を目的としている。その為、家庭裁判所により家庭や保護更生施設(一般更生施設・少年院等)での更生プログラムが用意される。

与えられた罰をもって、罪を償うことを優先される成人とは大きく異なる。

※ちなみに神戸自動連続殺人事件の酒鬼薔薇聖斗は、関東医療少年院に収容された。

②少年院送致年齢は「おおむね12歳以上」

③(刑務所に収容される)刑事処分の可能年齢は「14歳以上」

④おおむね26歳未満の受刑者は、一般刑務所ではなく少年刑務所に収容される。

⑤少年裁判は非公開。判決も公開されないか、公開されても報道されない。

※情報は流出するので、その気になれば調べられないこともないが。

⑥刑の軽減。成人の死刑相当が無期懲役無期懲役が有期刑(最大20年)など、一段階から二段階程度軽減される。

ざっとこんなところだろうか。

 

さて、前置きが長くなってしまったが、少年法の見直しについてだ。

実はここ数年凶悪犯罪の低年齢化や世論の高まりを受け、少年法は何度か改定されている。

2000年 刑事処分可能年齢を「16歳以上」から「14才以上」に引き下げ。

2007年 少年院送致年齢下限を「14歳以上」から「おおむね12歳以上」に引き下げ

2008年 重大犯罪における被害者の「知る権利」拡大

※裁判傍聴・非常に広範囲に渡る裁判・調査等の記録閲覧など

2014年 言い渡せる有期刑の上限を5年程度引き上げ

 

この様に着実に厳罰化は進んではいる。しかしながら方々から聞こえてくる意見に耳を傾けてみると、被害者に比べてはるかに優遇される実名報道規制や、死刑が望めない点など、国民の多くを納得させるに足る内容だとは言えないようだ。

 

現在選挙投票券の年齢下限を、20歳から18歳に引き下げる動きが現実味を帯びてきた。選挙権を与えるということは、十分物事の分別の付く大人だということを認めている。よって最低でも「成人」の基準を、18歳以上に引き下げるべきとの声も聞こえる。

しかしながら先程書いたように、重要なのは大人かどうか、分別がつくかどうか、自分の行動に責任を負わせられるかどうかではない。更生出来るかどうかだ。

 

即刻死刑を望む意見も多い。確かに気持ちは良く分かるが、罪を犯した人間をひたすら憎み、一律に「目には目を、歯には歯を」では、我々が無秩序のテロ組織と呼ぶイスラム国と何ら変わりはない。

何度も言う感情論を抜きにして、社会にとって一番利益になることは、間違いなくその人物が更生し、社会貢献出来ることだ。

 

極論を言おう。もし仮に自分の親を殺した少年であっても、その少年が一生そのことを反省し、ノーベル賞を受賞するほどの人物になるのであれば、私はその犯人の死刑を望まない。

一番最悪なことは「目には目を」の精神で闇雲に犯罪者を裁くことであり、二番目はその犯人が再犯を犯すこと、三番目は何の根拠もなく、一部の人間に特別保護を与えることだ。

 

だからこそ少年法の改定を議論する上で重要なことは、現在までの更生・再犯等の履歴を徹底的に洗い直すことだ。

そして少年法が掲げる更生プログラムが、一体どの程度の年齢まで十分に機能している、或いは機能していないのかを、国民に明示する必要がある。

20歳未満という根拠のない数字で縛るのではなく、きちんとしたデータを元に、多くの人間が納得できる成果を上げている年齢までを、少年法の対象とすべきではないだろうか。

 

犯罪には被害者がおり、加害者がいる。そこに国民感情や海外からの圧力なども加わり、それぞれの思惑が、立場が、複雑に絡み合い、ぶつかり合い、交錯する。

そうした中で、罪を裁く基準となる刑法上の線引きを決めなければいけないというのは、実に煩雑で厄介な問題だ。

だがどこかで線を引かなければならない以上、社会にとって最も利益になる方法とは何かを基準に考えなければならない。

非常に難しい問題であるが故に、単なる感情論で突っ走るのは危険だ。一歩下がり、冷静な視線を保つことが重要ではないだろうか。