サハラの風

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【お釈迦様の言葉に学ぶ】東日本大震災被災者への心の支援-キサーゴータミの譬喩ー

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トピック「被災」について

 

東日本大震災から4年。

突然愛する人を失った悲しみや、苦しみ、虚しさは、心の傷を癒す最高のドクターと言われる「時」に任せるより手はない。

しかしながら「命の境い目」を大切な人と自分の間に引かれ、自分だけが生き残ってしまったことに、今だに大きな罪悪感にを抱える人達が大勢いる。

 復興のための継続的な支援は勿論だが、それ以外に我々被災者でない人間に出来ることは、「悲しみを分かち合う」ということ。

 

ブッダ(お釈迦様)のことばより法話をひとつ。

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 インドのある村にキサーゴータミーという女性がいました。

貧しい家出身だった為、嫁いだ先で冷遇されていましたが、男の子を産んでからは、皆に大事にされるようになりました。

ところがその子は小さい時に死んでしまい、大変な悲しみにくれるキサー ゴータミーは、村の家々をはじめ、仙人、修行者など、方々を駆け回り、「息子を生き返らせてほしい」と頼み歩きました。

見かねた御釈迦様は、彼女にこう言いました。

「息子を蘇らせる為に、護摩をたいてあげるから、その為のケシの実をどこぞの家から少々もらってきなさい。ただしそれは今までに一度も死者を出したことのない家からではいけない」

それを聞いた彼女は大喜びで出かけていきました。

当時ケシの実はどこの家庭にでもあるようなもの。

皆喜んで差し出してくれるのですが、お釈迦様の出された条件を聞くと、皆たちまち顔を暗くしました。

「五年前に夫を亡くして・・・」

「三年ほど前に母親が・・・」

「ついこの間あなたと同じように子供が・・・」

足を棒にして走り回りましたが、一件として死者を出したことの無い家はありませんでした。

キサー ゴータミーは悟ります。

愛するものを失った悲しみは、何も私だけのものではなかった。

この世に生を受けたからには、必ずそれをお返ししなければならない時が来る。

だから誰もが愛する人との別れを経験し、悲しみの涙を流し、そしてその悲しみを背負い、抱えながら生きている。

大切なのはその事実を、悲しみをしっかりと受け止め、死者の魂を胸に抱き、精一杯生きていかねばならないのだと。

「キサーゴータミーの譬喩」

これはキサーゴータミーの視点から語られた話だが、 この法話でもう一つ注目したいのは、村人の視点だ。

キサーゴータミーから相談を持ちかけられた村人達は、 ケシの実を渡してやることの出来ない理由として自らの身内の死を語る。

その心の中は大切な人を失った悲しみは、決してあなただけでは無いということを教え、更にはその悲しみを共有し、分かち合おうとしたのではないだろうか?

そうすることによって、彼女の悲しみを少しでも軽くしてあげることが出来る。

そう固く信じていたに違いないだろうし、実際それは正しかったことだろう。

 

無念にも志半ばで亡くなった人達の為に、 残された我々に出来ること。

それは結局のところ、その人達の分まで精一杯生きることだけなのだが、それと共に大切な人を亡くされた人達の悲しみを、少しでも分かち合う努力も必要だ。

 

日本人は世界中のどの民族より、人の心の痛みのわかる民族だと私は信じている。

被災者の声にじっと耳を傾け、自らの体験と共に悲しみを分かち、包み込んでやる。

シンプルではあるが、とても重要なことだ。

それがいつか微力ながらも、本当の意味での心の復興に繋がってくれれば・・・

そんな思いでいっぱいだ。

 

東日本大震災で命を落とされた方々の心よりのご冥福をお祈りして、本日のブログを締めさせていただきたい。

 


震災の記憶~阪神淡路・東日本大震災~