サハラの風

世の中の事件や出来事にひっそり・こっそり・ちゃっかり物申す!(フリをする)

【世界最悪の海難事故】船舶沈没詳細ランキング~タイタニック・洞爺丸・サルタナ・ドニャパス~

【スポンサーリンク】

タイタニック号、洞爺丸、サルタナ号、ドニャ・パス号、ジェネラル・スローカム号、エンプレス・オブ・アイルランド号、ホン・モー号、ジョラ号、アル・サラーム・ボッカチオ98号、江亜号、太平輪 中国沈没船

 

沈没するタイタニック号

(沈むタイタニック号)

 

世界の海難事故特集。

※以下は19世紀以降の平時(戦時以外)における世界の海難大惨事。

 

■ サルタナ号 ■

事故日 1984年4月27日

性能 1,719トン 全長80m

運航 米ミシシッピ川貨客船

死者 1,450人以上

 

 南北戦争終結後に、南部の施設に監禁されていた北の将兵を帰還する目的で、ミシシッピ川の海水運が活用された。

当時は爆発的な需要を背景に、癒着・利益第一主義などの影響により、安全基準は形骸化し、ずさんな管理体制が当たり前となりつつあった。不正受注や抜き工事、機関の限度を超えての運航は日常茶飯事で、サルタナ号もご多分に漏れず、ボイラーと冷却システムに深刻な問題を抱えながら航行していた。

事件当日も異常があったにもかかわらず、修理で運行時間が遅れることを嫌った船長により、無理矢理に出発。結果第三ボイラーが爆発し、多くの人間が爆死・焼死・溺死した。

またこのころは過積載も当たり前で、事故当日の乗客はは定員の6倍、その他砂糖・家畜・酒などの貨物が満載で、速力は通常の半減、途中転覆の危機をむかえるほどだった。

爆発ですし詰め状態の船内はパニックとなり、更に被害を拡大させた。

 

サルタナ号

(サルタナ号)

 

 

■ ジェネラル・スローカム号 ■

事故日 1904年6月15日

性能 1,300トン 

運航 ニューヨーク港遊覧船

死者 1,031人

 

 イースト川をさかのぼる航路の途中で、原因不明の出火が起こる。消防艇が出動したが、ジェネラル・スローカム号の船長は、それを無視して全速力で川を遡上した。その為火災が広まり、多くの人が川に飛び込み溺死した。

原因は何と言っても船長の判断ミス。

この時代、イースト川周辺には石油タンクや木造の家が多かった為、火の手が及ぶのを避ける狙いがあったのだろうが、すぐに川岸に接岸し、消防艇に消火を任せれば、死者は出なかったものと推測される。

救命設備に不備が多く、船員も船上作業に不慣れな港湾労働者だったことも一因。

 

ジェネラル・スローカム号

(ジェネラル・スローカム号)

 

 

タイタニック号 ■

事故日 1912年4月15日

性能 46,328トン 全長269.1m 

運航 大西洋就航

死者 1513人

 

 言わずと知れた豪華客船。処女航海であったイギリスからアメリカへの航行の途中、北大西洋ニューファンドランド沖で流氷にぶつかり沈没した。 あまりにも有名な事故の為、詳しい内容は割愛する。

 

タイタニック号

タイタニック号)

 

 

■ エンプレス・オブ・アイルランド号 ■

事故日 1914年5月29日

性能 14,191トン 167m 

運航 カナダ・イギリス間の定期便

死者 1,012人

 

 ノルウェーの石炭船、ストールスタッド号の船首がエンプレス・オブ・アイルランドの右舷に激突。わずか14分でセントローレンス川に消えた。

ストールスタッド号は沈没していない。

直接は原因非常に濃い濃霧だが、その濃霧の中、踏みとどまることなく突き進んだ結果。特にエンプレス・オブ・アイルランド号は高速を売り物にしており、最短距離で通過しようとした節がある。

当時エンプレス・オブ・アイルランド号では空気の悪い室内の換気を良くする為に、海面から少しだけ上にある殆どの舷窓(船体にある小さな丸い窓)を開けていた。水密扉の閉鎖失敗したことと併せて、大量の水が一気に船室に流れ込む結果となり、短時間で沈没した。

 

エクスプレス・オブ・アイルランド

 (エクスプレス・オブ・アイルランド

 

 

■ ホン・モー号 ■

事故日 1921年3月3日

性能 3,954トン 長さ120m 

運航 シンガポールの国際旅客船

死者 900人

 

 香港から広東省スワトウ市に向けて航行。入港を試みるが船体が大きすぎて、入港が困難なことが判明。アモイ市に航路を変更、その2時間後に南シナ海のラモック島近くで、荒波により船は座礁した。

沈没までの間に数隻の船が近くを通ったが、電気系統にトラブルを抱えていた為、SOS信号を出すことは出来なかった。

唯一SSシャンティ号だけが危機に気付き、45人を救っている。SSシャンティの知らせを受けて夜通し捜査が続けられ、さらに50人近くの人間が救出されているが、大半は脱出を試みて溺死した。

 

ホン・モー号

(ホン・モー号)

 

 

■ 江亜輪 ■

事故日 1948年12月4日

性能 3,730トン 長さ98.18m 

運航 中国の旅客蒸気船

死者 2,750人~3,920人

 

 日本の占領下で日本の企業によって運航されていた船。戦後中華民国海軍が戦後賠償の一環として接収し、民間旅客船として改修された。

上海から寧波への航行の途中で、旧日本海軍の置き去りにした機雷に触れ、沈没した。

当時の中国は内戦中で、戦火を逃れる難民や帰郷客で密航者の含め多くの人間が乗船しており、最大で4,000人弱の人間が死亡したとみられる。

 

江亜輪

(江亜輪)

 

 

■ 太平輪 ■

事故日 1949年1月27日

性能 2,489トン 

運航 中国の豪華客船

死者 1,000人以上

 

 上海から台湾にある基隆市への航行中、貨物船である「建元輪」と衝突し、両船とも沈没した。

「建元輪」の乗組員72名と「太平輪」の乗員乗客1,000名以上が溺死・凍死した。

当時の中国は内戦中であり、多くの人間が戦火を逃れる為に、中国大陸脱出を図った。

「太平輪」は夜間外出禁止例を避ける為にライトを消して夜間航行していたことが一番の原因だが、大幅な積載量・積載人数オーバーが被害を拡大させた。

中国のタイタニック沈没事件と呼ばれている。

 

太平輪

 (太平輪)

 

 

洞爺丸 ■

事故日 1954年9月26日

性能 3,954トン 長さ120m 

運航 津軽海峡青函連絡船

死者 1,155人

 

 台風15号の影響で転覆。 比較的浜から近い位置だった為、生きたまま浜に打ち上げられた人間もいたが、暴風雨で救助が遅れ、力尽きたものが相当数存在すると言われている。

この台風で5隻の青函連絡船が沈没し、洞爺丸の1,155人を含めて1,430人が命を落とした。日本史上最悪の海難事故。

 

洞爺丸

洞爺丸)

 

 

■ ドニャ・パス号 ■

事故日 1987年12月20日

性能 2,640トン

運航 フィリピン国内向け貨客船

死者 1,575人(公式)

 

 レイテ島からマニラへの航行中に小型タンカービクトル号と衝突。爆発・炎上した。タンカーから流れ出した重油に引火し、海上に避難した人間をことごとく焼き殺してしまった為、双方合わせて26名しか生存者がいない。

主要な船員が全員死亡した為、正確な原因は不明。

元々は日本の船舶であったが、フィリピンの企業が買い取り、積載量を増やす為に、無茶苦茶な改造を施した。よって船の制御に難があったのではないこと見方が有力。

ちなみに運航会社の発表では、密航者なども相当数乗船しており、死者4,725人となっている。4,375人との発表もある。

これが事実の可能性も十分考えられるが、事実なら平時における史上最悪の海難事故ということになる。

 

炎上するドニャ・パス号

(炎上するドニャ・パス号)

 

 

■ ジョラ号 ■

事故日 2002年9月26日

性能 79m

運航 セネガル政府所有の国内用フェリー

死者 1,863人

 

 セネガル国内の地方から首都ダカールに向かう途中、ガンビア沖で嵐に巻き込まれ沈没。定員800人のところ、2,000以上の乗客を乗せており、過積載も原因のひとつと思われる。

 

ジョラ号

(ジョラ号)

 

 

■ アル・サラーム・ボッカチオ98号 ■

事故日 2006年2月3日

性能 11,799トン 長さ130.99m

運航 エジプト・サウジアラビアの定期フェリー

死者 1,028人

 

 サウジアラビアからのエジプトに戻る途中に沈没。乗客は殆どがサウジアラビアへの出稼ぎ労働者や、メッカへの巡礼から戻る巡礼者。

紅海上で火災が発生したにもかかわらず、エジプトに向けての航行を続行。激しい高波と砂嵐という悪条件が重なり、沈没したものと思われる。

 

アルサラム・ボッカチオ98号

 (アルサラム・ボッカチオ98号)

 

 

あわせて読みたい

world-news.beauty-box.tokyo

world-news.beauty-box.tokyo

world-news.beauty-box.tokyo

world-news.beauty-box.tokyo