サハラの風

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【ネパール地震】昔訪れた古都の写真を見比べて涙が止まらなくなった

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ネパールで起こった巨大地震の死者が、雪だるま式に増えている。

 

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【がれきの山と化したカトマンズのダルバール(王宮)広場】

 

私が見た地震の第一報を伝える記事では、死者はインドの14人、ネパールの5人だった。
 
次にチェックした時はいっきに100人を超えていた。
その後500人になり、800人になり、あっという間に1,000人の大台を突破した。
1500人、2,000人、2,500人、3,000人、4,000人、5,000人・・・
 
その後はネットをチェックする度に死者は増え続け、坂道を転げ落ちる雪だるまの如くにその数は膨れ上がっていった。
 
ニュースを見ることを、恐怖にすら思えてくるのだが、私は過去にも2度同じ思いを味わったことがある。
 
 
1度目は20年ほど前。
当時学生だった私は、TVから流れる緊迫したアナウンサーの声で目を覚ました。布団から這い出て、部屋を出ると、居間のTVが煙を上げるビルを映し出していた。
 
「神戸の方で地震があったみたいよ。怖いわねぇ。」
 
母親が気の毒そうに呟いた。
 
朝早かったこともあり、恐らくどこの家庭も通勤・通学の準備に追われていて、ゆっくりTVを見ている暇などなかった筈だ。
 
我が家もご多分に漏れずその口だったし、何よりもマスコミですら被害状況が殆ど把握できておらず、家族の誰もがさほど大したことがないだろうと思っていた。
 
しかし、そんな思いとは裏腹に、その後死者の数はとてつもない勢いで増え続け、最終的には6,000人を超えた。
 
今まで1,000人単位で人が死ぬという現実を目の当たりにする機会など無く、一瞬恐怖に身がすくんだのを今でも鮮明に覚えている。
 
 
2回目はご察しの通り、東北大震災の時だ。
 
確かに首都圏も経験したことのない程の揺れに見舞われた。しかし、所詮は「いつもより多めに揺れただけ」と、その時も完全にタカをくくっていた。
 
ところが現実はそんなに甘くはなかった。その後の大惨事は皆さんもよくご存知のことと思うが、結果的に死者・行方不明者は2万人を超えた。
ニュースが流れる度に見たこともない程のスピードで膨れ上がる死者の数に、再びニュースを見るのが怖くなった。
 
 
古い建造物、耐震・免震対策不足、山岳地帯、脆弱な地盤、入り組んだ街の造り・・・最悪とも言える要素が様々に絡み合い、死者は1万人を超えるとも言われているネパールの大地震
 
数年前に「日本の古き良き時代の田舎で見る夕暮れ」と少々長ったらしい名前を付け、ダルバール(王宮)広場の寺院の屋根から眺めた、美しい街並みはどこへ行ってしまったのだろうか・・・
聞くところによると、三大古都のダルバール広場は、壊滅的なダメージを受けたそうだ。
 
ダルバール広場はネパール人の誇りであり、随一の憩いの場であり、そして心の拠り所だ。
 
このニュースに思わず涙が出そうになる。
 
改めて自然の恐ろしさと人間の無力さを感じさせられる出来事だが、近年二度も同じ思いを経験した日本人として、自分に出来る最大限の協力をしていきたい。
 
 
最後に5年ほど前に、ネパールを旅した時に撮ったダルバール広場と彼らの笑顔の写真を載せさせていただきたい。
 
バックパックを担いでインド一周をしていた私は、何かにつけて熱過ぎるインド人と、焼け付くようなインドの気候、口に合わない水、香辛料たっぷりのカレー、至る所に糞尿が転がる劣悪な衛生環境にやられ、精神崩壊寸前に陥った。
 
旅費節約の為、外国人旅行者とは無縁の超オンボロローカルバスを乗り継ぎ、30時間かけてガンジス川の街バラナシ(ベナレス)に入った時のことだ。
 
最後に乗り継いだバスはインドの猛暑の中、つま先立ちがやっとの激混み状態の中、4時間半耐えた。
ただでさえ精神的にかなり追い込まれている状況では、タフが売り物の私も、流石にこたえた。
 
過酷な移動で極度の体調不良に陥り、道端で吐いている私を取り囲み、無理やり自分の提携している宿に連れ込もうとする悪質な客引きを気力で振り払い、30キロのバックパックを担ぎ、炎天下の中3時間かけて宿を探した。
 
荷物を置くとすぐに精神を落ち着かせようと、ガンジス川のほとりで、瞑想を試みた。
 
しかし、インドはそんな私を温かく包んではくれなかった。
 
目の前で燃え盛る遺体から立ち昇る煙は容赦無く私を包み、寄付をせがむ乞食達が我先にと私の腕にしがみつく。
 
その時私の中で何かが崩壊する音が聞こえた。
 
いくら断っても集団で取り囲み、木で出来た笛を法外な値段で売りつけようとするインド人の物売りどもを片っ端からガンジス河に放り込み、その足で宿を引き払った私は、這々の体で1台のおんぼろバスに飛び乗った。
 
山あいの酷いガタガタ道を24時間乗り堪え、目指したのはネパールだった。(インドで心身に不調をきたしたバックパッカーが、心の回復を求めて、ネパールに一時避難するのは、一種の定番)
 
ネパールの人々は優しかった。
穏やかな気候と、日本の古き良き田舎の風景、そして何よりネパール人の素朴で人懐っこい笑顔が私の傷ついた心を癒してくれた。
 
徐々に戦う心を取り戻した私は、決意新たに決戦の地インドに戻っていった。
 
彼らの笑顔と優しさを胸に・・・
 
 
 
【三大古都(カトマンズ・パタン・バクタプル)のダルバール広場】
 

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彼らの素朴で控えめな笑顔に癒された・・・

 

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犠牲者のご冥福と、復興を祈って・・・

 

 

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