サハラの風

世の中の事件や出来事にひっそり・こっそり・ちゃっかり物申す!(フリをする)

佐村河内守氏が映し出す「現代日本社会の闇」

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オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』で知られる映画監督、森達也監督(58)が再び日本を騒がせた事件の映画化に向け、メガホンを取ることになりそうだ。

 

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耳の聞こえない作曲家として、「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などの作曲を手がけたとされた佐村河内守氏。後にゴーストライターを使っていたことが判明した訳だが、その事件を題材にした映画製作が、密かに進められているとのこと。

 

 全国ツアーが中止になったことによる損害賠償裁判など、今だに彼らの壮大な嘘は社会に大きな影響を与えている訳だが、改めてこの事件を見つめ直してみると、日本社会が抱えるひとつの闇が、浮かび上がってくるように思う。

 

昨年大人気となった「アナと雪の女王」。ネットに次々と立てられたスレッドには「泣ける」の3文字が溢れかえっている。

 

 

「アナ雪」に限らず巷で人気のコンテンツのキーワードは、兎にも角にも「泣ける」ことだ。

 

「泣ける映画」に「泣ける本」、「泣けるドラマ」に「泣けるアニメ」、「泣ける歌」、「泣ける手紙」、「泣ける漫画」、「泣ける動画」まで、どこもかしこも「泣ける○○」を全力でアピールする文言で溢れかえっている。

泣くことを求める文化がそこにある。

 

 

話は変わるが先日私の会社に、手伝いに来てくれた日雇いの派遣スタッフさんは、某在京キー局傘下の大手番組制作会社で、ドキュメンタリー番組の制作プロデューサーをしていた方。

 

そんな方が何でまた日雇いの派遣?と疑問に思い、悪いと思いながらも色々聞いてしまった。

 

 

その方が指揮を執った最後の仕事が、東北大震災で被災した福島の人々を追った、ドキュメンタリー番組の製作だ。被災直後から長期に渡り、何度か放送されていた番組なので、 目にしたことのある人も多いだろう。

 

生き地獄のような環境において、福島の人々の一生懸命生きようとする直向〔ひたむき〕さを伝えたいと、足を棒にして聞き込み取材を続けたそうだ。その甲斐あってか番組は好評を博したが、同時に周囲からの期待と要望は高まっていく。

 

彼らが求めるものはいつも「泣ける要素」 。苦しい体験やそれを乗り越えようとする姿勢などなど兎に角、感動秘話をふんだんに盛り込むことを求められた。

 

周囲からの感動秘話要求は、回を重ねる毎に増していき、やがては住民とのトラブルにまで発展していく。

 

「こっちは命がけだったんだぞ!そんなにうまい具合に感動秘話ばかり、あるわけないだろ!」

 

「口を開けば泣ける話、泣ける話って!あんた達は俺達の何が伝えたいんだ?苦しい現状を広く世間に知らしめてくれる為に来たんじゃないのか!?」

 

「そんなに家族の誰それが死んだって話が聞きたいのか!?」

 

「私達はあんたらに泣ける話を提供する為に、辛い思いをしている訳じゃない!」

 

「語りたくない、思い出したくない過去だってある!」

 

連日浴びせられる被災者からの厳しい言葉。その言葉が正しいものだったからこそ、日本のドキュメンタリー番組の制作在り方そのものに限界を感じ、絶望の淵に立たされた彼。 結果的にはそれが多くの人が羨む地位を、永遠に捨て去る決心をさせることになる。

 

残念ながらこの手の話は枚挙にいと間がない。

 

日航機墜落事故のニュース。

 

夫の孝之さん(当時29歳)を亡くした小沢紀美さんは、事故当時お腹にいた長男秀明さんが4歳の時、2人で8月12日の慰霊登山に参加した。

 

自分の足で必死に登る4歳のあどけない姿にマスコミが殺到。

 

「お父さんいないんだよね?」

 

「さみしい?」

 

「かなしい?」

 

薄っぺらい感動秘話を作り上げる為の容赦ない質問が飛ぶ。

 

ホテルに帰り「僕はかわいそうな子なの?」と語りかける英明さんの言葉を聞き、以降紀美さんは秀明さんを連れて 慰霊登山に参加することをやめた。

 

高校生になった秀明さんの希望により、再び2人で慰霊登山に参加するようになった。

 

その時の取材で、紀美さんが語った昔話だ。

 

 

では佐村河内守氏の場合はどうだろう?

 

とある耳の聞こえない、ひとりの作曲家。その彼が「ヒロシマ」という、日本人にとって忘れ難いテーマを題材に、ひとつの交響曲を書き上げる。

 

しかしながら彼自身は自分で作ったその曲を、自らの耳で聴くことは叶わない。彼がその曲の真の素晴らしさを知ることが出来るのは、彼の曲を聴いて、換気に沸き立つ聴衆の姿を見た時だけだ。

 

かの大作曲家ベートーベンを彷彿とさせる、見事なまでの感動ストーリーは、日本が愛して止まない「泣ける実話」そのものではなかろうか。

 

 

我々日本人が執念を燃やして追い求める「泣ける」世界。それは取りも直さず、ストレスの多い現代社会において、「泣く」ことに、ストレス発散のはけ口を見出そうとする我々にとっての「必要不可欠な道具」だからに他ならない。

 

そんな恐ろしいまでの渇望や執念が生み出す、現代社会の象徴的モンスター。少々穿った見方をすれば、佐村河内守氏もそのひとりだったとは考えなれないだろうか?

 

もしそうであるならば、あるいは彼もまた、現代社会という深い闇によって歪曲され、創造された、加害者と言う名の被害者のひとりなのかも知れない。

 

社会の潮流に飲み込まれ、道化(ピエロ)と化したひとりの悲しきモンスター。そんな男の目に映る現代社会とは、一体どの様なモノだったのだろうか?

 

慌ただしく人や車が行き交う都会の交差点。

 

そこでぼんやりと信号が変わるのを待ちながら、ふとそんな思いが 過〔よ〕ぎった、今回の映画化のニュースだった。

 

けたたましく鳴らされたクラクションによって現実に引き戻された私は、都会の闇の中をまた歩き出す。

 

晩春を告げる風と共に・・・