サハラの風

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何故若者はYouTubeやTwitterに愚かな投稿を繰り返すのか?

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最近TwitterFacebook等のSNSで、自らの愚行を晒す若者が増えている。

 

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先日牛丼チェーン店「すき家」で、アルバイトの女子高生がわいせつ画像を複数回に渡ってアップした。

味噌汁をバラまいたり、厨房でゲームをしたりする様子が、度々ネットにアップされる「すき家」。繰り返されるバイトによるテロに、同社がまた泣かされた格好だ。

 

マスコミに「行き過ぎたイタズラ」などと報道されているが、「すき家」は元より、自らの将来にも大きなダメージを与える行為に、困惑が広がっている。

 

では何故この様な行動に走る若者が後を絶たないのだろうか?

その原因を考えてみた。

 

 

以前知人からべったら漬けを貰ったことがある。

 「べったら漬け」の名前の由来を調べてみると、これがなかなか興味深い。
 
 「べったら市」は、江戸中期の中ごろから、宝田恵比寿神社(東京都中央区日本橋)の門前で10月20日の恵比寿講(商家で恵比須をまつり、親類・知人を招いて祝う行事)にお供えするため、前日の19日に市が立ち魚や野菜、神棚などが売られるようになったのがその起源です。
 
 浅漬け大根のべったら漬がよく売れたことから「べったら市」と呼ばれ、若者が「べったりつくぞぉ~、べったりつくぞぉ~」と叫びながら縄に縛った大根を振り回して参詣客の着物の袖につけてからかったそう。
 
 べったら漬はアメと麹で大根を漬け込んでいるため、衣服にべったりとついてしまうことからべったら漬という名になったと言われております。
 
東京新高屋HP
 
江戸庶民は兎に角、悪戯好きで知られる。現に江戸の小話や落語には、彼らの愛すべき悪戯で溢れている。
どうやらべったら漬けの名前の由来も、そんな江戸庶民の悪戯から来ているようだ。
 
そう言えば私は葬儀業界に携わっているが、馴染みの石屋から、江戸時代に流行った「墓石磨き」について聞いたことがある。
「墓石磨き」とは、何者かによって、墓石が勝手に磨かれるといった悪戯だ。それだけ聞けば、むしろ歓迎すべきことのように聞こえるが、そうとも限らない。墓石の転倒や、墓石に彫ってある文字の一部にだけ色を入れられたりする被害が続出したらしい。
天保元年(1830)9月には、江戸市中でひと月に300近い被害が出たとの記録も残っているから驚きだ。
 
 
所変わって現在の日本。
先日都内のスーパーで菓子の容器に楊枝を刺した動画や、コンビニで万引きを装う動画を次々に投稿した三鷹市の無職少年(19)が、建造物侵入容疑で逮捕された。
 
思い起こせば2010年辺りを堺に、ネットに自分達の悪戯や悪ふざけの様子をアップする若者が急増した。2013年にはツイッターにこれらの写真や動画を投稿する、通称「バカッター」が社会現象を引き起こし、流行語対象の4位にランクインしたことは、記憶に新しい。
USJでの危険行為、コンビニやスーパーでアイスケースに入る・寝そべる、店員への土下座の強要、電車に全裸で乗車、醤油やタバスコの容器を口や鼻に入れるなどなど・・・
ひっきりなしに繰り返される愚行は、枚挙にいと間がない程で、マスコミや専門家は、彼らの精神分析や理由付けに大忙しだ。
 
しかしながらだ。看過されるレベルかどうかはさておき、古今東西、洋の東西を問わず、良い大人の悪戯や悪ふざけなどというものは、いつの時代にも数多く存在するものだ。
そしてその中には、少なからず度を超えたものも存在するだろうし、現に先に述べた「べったら漬け」や、「墓磨き」などの悪戯や悪ふざけは、正にいい例だろう。
つまり悪戯や悪ふざけは存在したが、情報伝達の遅さから、爆発的に広まり人々の非難の的となる前に、多方は沈静化・化石化(小話・伝説・小説)していったと考えるのが自然だろう。
 
しかしながらそれは、情報網の発達していない昔のことであって、高度なネット社会である現在では、そうはいかない。
日本を例に取れは、家庭にPCがある風景はもはや当たり前のものとなり、ひとり1台以上携帯を持つ時代となった。お店や駅など街のあちこちに、ネットに接続できる環境が整備され、一日のうち何十回とネットに接続する生活が当たり前となった。
企業はより早くネットに接続する技術開発に躍起になり、車・時計・エアコン・冷蔵庫に至るまで、ごく近い将来、全てのモノがネットに接続されていく未来(モノのインターネット:IoT)に、疑いの余地を挟む者はいない。
 

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この様に超高速で情報が飛び交うインターネット社会において、今だにあの様な悪戯が世間を騒がせ続けているという事実は、即ち我々はまだ本当の意味で成熟したネット社会の一員と成ることが出来ていない、という現実を突き付けている。
 
今もなおネット環境の整備は、世界中のいたるところで急速に進められている。情報は一瞬で世界を駆け巡り、恐るべき速さで拡散されていく。俄かには信じがたい話だが、理論上は誰かが投稿した写真を、数秒後には全世界数十億人が確認し、即座に意見を交換することも可能だ(物理的には不可能だが・・・)。
 
我々はこの様なネット社会に身を置く立場の人間として、頭ではそのことを十分に理解しているはずだ。しかし本当の意味でネット社会の恐怖や、何よりも情報の発信をすることの責任など、ネット社会の基本的ルールというものが、しっかりと個人個人の身に付いているかと言えば、そうでもないということだ。
平然と愚行をさらすバカッターや、SNSイスラム国に喧嘩を売る若者などを見ていると、とみにそう感じられる。
 
ネット社会に暮らす者としての心得の低さに加え、人間関係が希薄になる中で、それでも人と繋がりたい、或いは目立ちたい、構ってもらいたい、そういった思いが複雑に絡み合い、若者をあの様な行為に走らせるのだろう。
 
ネット社会の低年齢化が進む現在。それは同時にネット社会の一員として恥ずかしくない知識や意識を持たねばならない年齢も、低年齢化することを意味する。
小学校低学年でPCの授業をする学校も珍しくない。携帯を持つ子供の年齢も、更なる低年齢化が進んでいる。また、生徒に1台ずつiPadを配布する学校もちらほら聞くようになった。
進化する環境に対して、それを支える教育などのソフト面がついて行けなければ、爆発的にバカッターや、ネットを通じて犯罪に巻き込まれる人間を増やすことに繋がりかねない。
現在愚行をネットにアップする若者達は、この辺りのハードとソフトのバランスが上手くいっていなかった結果だろう。
 
今の教育では不十分だというのなら、もう一度学校や地域を含めた社会と家庭が双方で協力し合い、子供達がリテラシーの高い、成熟したネット社会の一員へと成長していけるような、体制作りに努めてもらいたいものだ。