サハラの風

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実録・100時間残業!残業時間なんて数えられてるうちは甘いよ!超ブラック企業の実態

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最近超人間にわたる残業時間についての記事が注目を集めている。

 

若干乗り遅れた感があるが、私も以前所謂「超ドブラック企業」で働いていた経験があるので、その辺りを書いてみた。

 

nzmoyasystem.hatenablog.com

 

某IT企業で働いていた頃の話。

 
時代は完全にIT=イケイケの時代。
 
元々入社3ヶ月も経てば、毎日の様に終電。
 
帰れない日も珍しくない会社。
 

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現場の責任者になった頃には、まともな人間とはかけ離れた生活が待っていた。
 
外回りをして会社に帰るのは午前1時から2時頃。
 
そこから事務処理をやって、退社するのは3時30頃。
 
会社の近くのマンガ喫茶(全席リクライニングチェア)でシャワー、遅すぎる夕食を取り、政治・経済情勢等の把握。
 
寝るのは午前4時30分前後。
 
出社は午前7時30分。
 
 
そんな会社だったので、役職付きの人間で会社に徒歩で通える池袋界隈に住んでいない者は私一人だけだったが、全面的に「帰れない生活」を受け入れてしまう様で、それだけは絶対にしたくなかった。
 
おかげで短期間でリクライニングチェアでの最大限の眠り方を、マスターした。
 
※ちなみにあまりにも多くの社員が会社に泊まり込み、社内が非常に乱雑になってしまう為、会社への寝泊まりは全面禁止されていた。
 
 
当時はネットカフェ難民が深刻な社会問題となっていた時期でもあった。
 
私が頻繁に利用する池袋のどのネットカフェの受付カウンターにも、行政からのネットカフェ難民救済メッセージ入りの立て札が立っていた。
 
毎日の様にやってくる私の姿をエレベーターの中に見つけると、受付の男性がさりげなく端に置いてある立て札を、カウンターの中央付近に移動させる。
 
そしてちらちらと札に目をやりながら、受付をしてくれる。
 
これが一連の恒例行事となっていた。
 
 
ちなみに当時の私の年収はかなりの高収入。
 
私は毎回、苦笑いを堪えるのに必死だった。
 
 
会社の机の中にはワイシャツやら下着やら、髭剃りやらが満載で、家に帰れるのは1週間に一度くらい。
 
朝礼で本日の行動予定や目標を述べるのだか、部下が
 
「今日は色即是空さんを家に帰すこと。」
 
と言った時は、流石に死のうかと思った笑
 
 
あの頃の私は本気でナポレオンなど大したことないと思っていた。
 
「私は1日4時間の睡眠で大丈夫だ!」って
 
1日4時間も寝てるじゃん!
 
って。
 
 
社内にはそんな会社ならではの、おかしなルールが沢山あった。
 
例えば
 
「どんなに席が空いていても、絶対に電車で座ってはいけない!」
 
座ったら最後、目覚めれば終点確実だからだ。
 
以前会社のある池袋から電車に乗り、気が付いたら池袋だったことがあった。
 
終点まで行き、折り返して池袋に、戻ってきたのかと思ったが、時間からするに2往復していたことを知った時は、本気で死のうかと思った笑
 
 
離職率はとんでもない数字になっており、これが降水確率なら10人が10人傘を持って出かけるレベル。
 
毎月新人が入社するが、私の同期は私以外、2週間以内に3人ともいなくなった。
 
時期は違うが私の大学の親友は、入社後3日で辞めている。
 
 
役職のついた人間に休みなんてある訳がない。
 
流石に土日は8時間〜10時間程度しか働かなかったが、もう8時間労働なんて、半分お遊びにしか感じられなくなってくる。
 
他の会社に勤める友人が、とんでもなく忙しい会社だと自慢しながら、
 
「10日連勤(連続勤務)だぜ~♪」と言っているのを聞いた時は、まさか
 
「こっちはざっと100連勤だぜ~♪」とは流石に言えなかった。
 
 
そんな生活を数ヶ月も続ければ、当然体が壊れ始める。
 
ある日車内で倒れた。
 
駅で倒れることは数回あったが、その日はかなりの重症だった。
 
車窓から見える周りの景色から徐々に色が消えていく。
 
セピア色になり白黒になり、意識が途切れた。
 
 
病院のベッドで目お覚ました私が真っ先に言ったセリフは、
 
「アポに遅れる!」だった。
 
制止する看護婦を振り切り、外に飛び出そうとする医者が私に言ったセリフは
 
「あんたこのままいったら2年で死ぬぞ!」
 
だったが、いっそこのまま殺してくれないかと思ったさ笑
 
 
全てかおかしい会社だったが、何かを考える思考などとっくになくなっていた。
 
外回りに出かけてそのまま二度と帰ってこない人間などざらだった。
 
当時は「この腰ぬけめ!」と思っていたが、今から思えば彼らの方が遥かに賢い。
 
100時間労働や150時間労働で過労死したり鬱になったりした人間の記事が世間をにぎわせる度に、
 
「お前らもこいつらと同じように、軟弱な負け犬になりたいのか!?」と怒鳴りと散らされたし、実際私が責任者になった時もそうして部下を叱咤してきたが、今冷静になって考えてみれば、私が過労死や鬱にならなかったのは、単なに運が良かったに過ぎない。
 
今でもその時負った体の傷は私を度々悩ませているが・・・
 
最初の内は必死に残業時間を数え、月給から時給を割り出してはため息をついていたが、そのうちにバカバカしくなって数えるのをやめた。
 
やがて自分を24時間365日地球にデータを送り続け、時が来れば大気圏に突入し燃え尽きる惑星探査機になぞらえるようになっていった。
 
 
心身的にもITが下り坂になったなどの社会情勢等もあり、私の惑星探査機生活は3年弱で終わりを告げた。
 
 
今でもこうした記事を見ると正直「100時間程度の残業で!?」という気持ちが芽生えない訳ではない。
 
だが、冷静に考えてみれば、やはり100時間というのは大した時間だ。
 

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