小野妹子が実は髭面の男だった!?
この驚愕の事実に度肝を抜かれるのは、もはや日本の小学生の宿命と言っても過言ではない。
では何故小野妹子は名前に「子」の字が付くのだろうか?
実は中国では思想家を中心に、「子」は学に優れた男性への尊称として用いられた。
「子」とは「先生」の意味だ。
つまり「子」は元々男性に付けられる名称だったのだ!
中国からの影響を受け、飛鳥・奈良・平安時代には日本でも位の高い男女の名前に「子」の付く名前が見られるようになる。
圧倒的に小野妹子が有名だが、他にも男性なのに「子」が付く歴史上の有名人は複数いる。
中臣鎌子(なかとみの かまこ)など、もう完全に大化の改新で有名な中臣鎌足(なかとみの かまたり)の女装した姿しか想像出来ないが、実在した別人物だ。
何れも高貴な家柄であることが分かる。
つまり日本では「子」の字が持つ権威に与ろうと、上流階級がこぞって「子」を自分の子供達に付けたという訳だ。
その後は内親王(女性皇族)や源平藤橘(藤原氏・源氏・平家、橘家)など、天皇家と関係の深い特級貴族出身の女性を中心に「子」の付く名前が頻繁に使われるようになる。
これは推測だが特級貴族にのみ集中したのは権力を握った「源平藤橘」が、格調高い「子」の字を独占し、他者は遠慮したのではないかと思われる。
また女性に集中したのは藤原家がそうだった様に、自らの娘を天皇に嫁がせ、外戚関係を構築するのが、当時権力を掌握するのに最も有効な手段だった。
兎に角優秀な女子が欲しい。
そうした願いが特に女児に「子」を付けさせる動機になったのではないだろうか?
こうして「子」は皇室や特級貴族の女性のド定番となり、明治以降は皇族にあやかろうと、日本全体で女性の名前の筆頭格となっていった。
合わせて読みたい!いや、読んでいただきたい!
いやいや、読んでくださいm(__)m!