サハラの風

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清原和博容覚せい剤所持で疑者逮捕-球界のスーパースターを薬物へと走らせたモノ

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不出生の野球選手。

誰もがうらやむその才能を武器に、日本のプロ野球界にさんぜんと輝いた清原和博。生きる伝説にまで上り詰めた彼がなぜ覚せい剤という最悪の薬物に手を染めたのか?その原因はどこにあったのか?

清原和博プロ野球人生とともに振り返ってみたい。

 

清原和博容覚せい剤所持で疑者逮捕-球界のスーパースターを薬物へと走らせたモノ

(写真は公式ブログのヘッダー。ちなみにアメブロの公式ブログは既に閉鎖されていました。 )

 

プロ野球選手で「球界の番長」こと清原和博容疑者が、覚せい剤の所持で逮捕されました。清原容疑者は使用を認めているとのことで、警察は入手ルートなど全容の解明に力を入れていくとのことです。

 

数年前から反社会勢力との接触や、薬物疑惑がたびたび報じられており、私も含めて世間の反応は「やっぱりね!」というのが本音ではないでしょうか。

 

2014年にはCHAGEandASKAのASKA容疑者が覚せい剤所持で逮捕され、世間を騒がせましたが、今度は野球界のスーパースターの逮捕を受けて、球界を中心に波紋が広がっています。

 

野球人としての歩み

 

高校時代から超高校生級としてスター街道を突き進んできた男の野球人生とは一体どんなものだったのだろうか。

 

高校時代

PL学園ではエースの桑田真澄と共に、「KKコンビ」として活躍。甲子園通算13本塁打、高校通算64本塁打うを記録し、5期連続の甲子園出場を果たす。

 

1年生の夏(優勝)

2年生の春・夏(共に準優勝)

3年生の春(ベスト4) 夏(優勝)

 

西武時代

巨人の大ファンであったが、西武ライオンズ入りが確定。

 

西武ライオンズ時代の清原和博

西武ライオンズ公式HP)

www.seibulions.jp

 

1986年のルーキーイヤーは序盤からスタメンに名を連ね、オールスターに1位で選出。

31本塁打(高卒ルーキー最多タイ)、打率3.04(高卒ルーキー最多)で新人賞を獲得する大活躍を見せる。

 

1989年史上最速で100本塁打達成(21歳9ヶ月)

 

1992年史上最速で200本塁打達成(24歳10ヶ月)

 

その後も1996年まで西武に在籍。数々の活躍を見せる。

かつては王貞治を超えるのは清原しかいないとまで言われ、森祇晶監督在任中の9年間でリーグ優勝8度、日本一6度を成し遂げ名選手を多数輩出した「西武黄金時代」の4番に君臨、3番・秋山幸二とのコンビはAK砲と呼ばれた。

88年はタイ・バンバークレオも入って、「AKB砲」となる。89年以降はオレステス・デストラーデが加わりAKD砲となる。

 

巨人時代

1997年FAであこがれの巨人に鳴り物入りで加入。

 

序盤こそはまずまずの活躍を見せるが、その後は肉離れ、骨折、じん帯断裂など、特に下半身の怪我に泣かされることになる。

 

周囲からの期待が大きかっただけに、成績が振わなくなるとその風当たりは強く、常に期待を込めた熱い声援と激しいバッシングの中心にいた。

 

松井秀樹や高橋由伸という真面目で優等生の生え抜きのスーパースターがいたことも、清原をヒール(悪役)にした大きな原因だったように思う。

 

いずれにせよ後に巨人に移籍したことが転落人生の始まりとまで言われる、辛く厳しい時代となった。

 

読売ジャイアンツ(巨人)時代の清原和博

松井と清原(http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1416915838/

 

2005年シーズン途中で戦力外通告

 

オリックス時代

 当時のシニアアドバイザー、仰木彬氏の誘いでオリックス入り。

 

オリックスバファローズ時代の清原和博

 

1500打点、4000塁打、21年連続二桁本塁打など数々の数字を打ち立てたが、膝の手術をするなど、身体はボロボロだった。

 

往年の輝きは取り戻せぬまま、2008年引退。

 

通算525本塁打、2122安打、4066塁打、1530打点、196死球

 

npb.jp

 

引退後

スポーツコメンテーターや評論家、バラエティ番組などに出演。

 

2014年ごろから薬物疑惑が報じられる。反社会的勢力とのつながりも指摘され、全身に入れ墨があるとの報道もなされる。

 

妻との離婚を発表。2人の子供の親権は妻が持つことに。

 

一時SMAPの中井君のバックアップなどで、TVの出演なども増えたが、黒いうわさは消えず、2016年1月2日自宅で逮捕。

 

清原は何故薬物に手を染めたのか?

ここからはあくまでも私の推測です。

 

結局清原和博という人間は球界の番長』というか肩書きにつぶされたんではないでしょうか。

 

清原和博著書 番長伝説

 

高校時代はKKコンビの一角として、怪物と恐れられ、鳴り物入りでプロ野球界に進出。大ファンだった巨人入りを熱望していましたが、巨人が桑田選手をドラフトで強行指名(桑田選手は早稲田大学進学を表明しており、事実上獲得は不可能だった)しており、悔し涙の末、西武ライオンズ入りが確定。

 

その悔しさをばねに、西武で大活躍。不出世のスーパースターの地位を確立しました。

 

1997年に念願だった巨人入りを果たしますが、松井秀樹選手やペタジーに選手など、スーパースター揃いの巨人では、常に怪我を抱え、ピークを過ぎた清原選手にかつて様な絶対的な王者のポジションに帰る咲く力は残っていませんでした。

 

常に大バッシングに晒され、オリックスに移籍。往年の輝きを取り戻すことなく、満身創痍で現役を引退しました。

 

引退後は指導者としての道を歩み、いつかは一軍で監督の地位に就くことを熱望していたようですが、待っていたのは中途半端な立ち位置のタレント業でした。

 

自分より実績も知名度も低い元選手が、指導者としての地位を手に入れる現状。TVではあまり見せませんでしたが、(球界のレジェンドだった俺が何故?)そんな思いは強かったのではないのでしょうか。

 

そんな清原容疑者がすがったのが、かつての「怖くて悪くて、憎いほど強い」彼の姿をひと言で言い表した『番長』という名前だったのではないでしょうか?

 

長淵剛【とんぼ】に乗せて、周囲に睨みをきかせながら、颯爽とバッターボックスに向かう球界の番町こと、怪物清原和博

 

あの時の怖さを、あの時の悪さを、あの時の強さ、あの時の輝きを!

 

失ってしまったモノに対する強い欲求が、彼に再び怖くて強い『番長』を必死に演じさせ、ひいては反社会勢力との関係をより深い物へと変えていったのでは?

 

やがて家庭の問題なども勃発し、薬物という決して手を出してはいけない地獄の領域へと足を滑らせる要因になったと考えるのは深読みしすぎでしょうかね?

 

薬物

 

真相究明が待たれるところです。

 

 

盟友であった桑田真澄さんは、以下の様に語っています。

 

野球のピンチに代打とリリーフはいるけど、自分の人生に代打とリリーフはいない。現役時代に数々のホームランを打ってきた。自分の人生でもきれいな放物線を、逆転満塁ホームランを打ってほしい」

 

いずれにせよあれ程の才能を持った人間が、その技術の粋を後世に伝えることなく朽ちていくのは、日本の球界にとっても大きな損失です。

 

  • 供述を拒んでいる薬物の入手ルートを含め、徹底的に真相を話し、今後同じように薬物に手を染める人間が出ない社会づくりに貢献する。
  • 薬物や反社会勢力との関わりをきっちり清算し、罪をつぐなう。

 

その上でもう一度、第二の人生を仕切り直して、今度こそ実りある一歩をふみ出してほしいものです。

 

 

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