元横綱千代の富士(九重親方)がすい臓がんのため61歳の若さで亡くなった。歴代3位の幕内最高優勝31回を誇る昭和の大横綱だった。
2013年1月72歳で亡くなった元横綱大鵬(幕内最高優勝32回)から始まり、2015年11月に62歳で亡くなった元横綱北の湖(幕内最高優勝24回)に次いで、またもや昭和の大横綱が早すぎる生涯に幕を下ろした。
わずか3年半の間に角界(相撲界)は偉大なレジェント達を3人も失ったことになる。
体を維持するための無理な食事、重い体、激しい稽古に加えて、横綱ともなれば常に激しいプレッシャーに晒される。大横綱となれば長きにわたりその重圧と闘うことになる。
引退後もリーダーとして、角界のために激務をこなすことが半ば義務付けられている。
大横綱とは華やかな人生とは裏腹に、短命と隣り合わせの宿命を背負っているのかもしれない。
思えば私は千代の富士の相撲と共に育った。
幼い頃は3度の飯より相撲好き。
あの頃の相撲は何といっても強者ぞろい。見ていて気が抜ける取り組みなどひとつもなかった。
北の湖・千代の富士・大乃国・旭富士・北勝海・双葉黒・隆の里・小錦・朝潮・若嶋津・北天佑・霧島・琴風・坂鉾・琴ヶ梅・寺尾・・・
キリがないのでこの辺りにしておくが、とにかく手に汗握る極上の取り組みが目白押しだった。
子供心に力士になって彼らと勝負してみたいと本気で思っていたことを思い出す。
当時相撲人気は凄まじいものがあり、千秋楽の両国国技館で比較的良い場所の升席チケットなど、コネがなければ取れないといわれた時代だったが、 親の知り合いに内部の人間がいたので、チケットを取ってもらい、何度か両国国技館にも足を運ばせていただいたりもしたし、地方巡業などにも顔を出させてもらったりもした。
千代の富士の優勝を目の前で見た日の夜などは興奮して眠れなかった。
体は小さいが、筋肉ムキムキの体で、でっぷり腹の出たデブ(子供の思考なので言葉が悪いのはご容赦願いたい)を豪快に投げ飛ばす。
私の世代にとって千代の富士はリアルなヒーローだった。
千代の富士の思い出を語りだすと止まらなくなってしまいそうなので、この辺りにするが、これからは指導者として再び角界にあの頃のような百花繚乱・群雄割拠の時代をもたらしてくれると信じていた。
そんなヒーローが今はもういないなんて、にわかには想像がつかない。
心にぽっかりと大きな穴が開いてしまった気分だが、今はただたくさんの感謝の気持ちと心よりの哀悼の意を捧げたい・・・
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いやいや、読んでくださいm(__)m!