イスラム教大巡礼(ハッジ)で奪われた命-宗教とは何だろうか?

イスラム教最大の聖地でまたも悲劇が起った。

 

【カイロ時事】サウジアラビアイスラム教聖地メッカ近郊で24日、イスラム教大巡礼(ハッジ)に参加していた群衆が混乱の中で押しつぶされるなどし、サウジ当局によると少なくとも769人が死亡、934人が負傷した。 

時事通信

 

メッカでは先日モスク拡張工事に伴い、100人以上が死亡する悲劇が起きたばかりだ。

 

【カイロ時事】サウジアラビア西部のメッカで11日、巨大クレーンが倒れ、イスラム教の聖地カーバ神殿があるモスク(イスラム礼拝所)を直撃し、治安当局によると107人が死亡、230人以上が負傷した。 

時事通信

 

以前書いた通り、大巡礼(ハッジ)はイスラム教徒にとって、一生に一度の一大イベントだ。

 

サウジアラビア メッカ カアバ神殿 マスジド・ハラーム

巡礼者で溢れるカアバ神殿(Photo BY Al Jazeera English-Wikipedia

 

その巡礼で命を落とすとは、何ともやりきれない。

 

 

そういえば2015年4月25日に起こったネパール地震

 

家も家族も失ったネパール人女性が、崩れかけた寺院で一心に仏に祈りをささげる写真を見た。

 

宗教とは?祈りとは?神とは?仏とは?

 

そんなことを考えずにはいられない出来事が頻発している。

 

 

人間とは何とちっぽけな存在なんだろうか・・・

 

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エジプトでは鳩は高級食材です-異文化理解は難しい・・・

ベトナム人が研究用のヤギを盗んで食べた挙句、窃盗罪で逮捕された」

 

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こんなニュースがあったことを覚えているだろうか?

 

2014年のニュース資料を整理していて、発見した。

 

岐阜県美濃加茂市里山で「ヤギの除草隊」として活躍し、人気だったヤギを盗んだとして、県警関署などは4日、愛知 県春日井市牛山町、無職、レ・テ・ロック容疑者(30)らベトナ ム人の男3人を窃盗容疑で逮捕。

 

レ容疑者ら2人は「解体して食べた」と供述し、1人は否認し ている。

 

容疑は2014年8月9日夕から10日朝にかけ、美濃加茂市山之上 町の岐阜大の研究用農場からヤギ2匹(計約7万円相当)を 盗んだとしている。  

盗まれたのは、除草費用削減のため同市が手がける「ヤギ の除草隊」約20匹のうちの2匹。首輪二つが残されているの を飼育していた岐阜大職員が見つけ、盗難の被害届を出して いた。  

 

食べられたと聞いた市土木課の除草隊担当、酒向一也さん (37)は「触れ合いを楽しんでいた子供たちもショックだろう」と 残念がった。

 

岐阜大応用生物科学部の八代田真人准教授(42) は「文化の違いもあり、家畜には食材としての役割もあるので 割り切るしかない。

 

ただ、他人のヤギを盗むのは許せない」と話 した。

 

毎日新聞 

 

勿論窃盗自体は絶対にやってはいけない重大な犯罪だが、異文化における相互理解という観点からは、非常に興味深い事件だった。

 

その為ネットの記事をプリントアウトしておいたことを思い出した。

 

日本人からすれば研究用のヤギを取って食うという発想にびっくりし、おそらくベトナム人からすれば、食用であるはずの家畜が研究用に大切に飼育・利用さいていること自体にびっくりしたのだろう。

 

私も若い頃はバックパックを担いで世界中旅をした。

 

そこでは文化の違いから来る、いくつもの感覚の「ズレ」に 出くわしたものだ。

 

エジプトの大学に留学していた時に、仲良くなったエジプト人に不思議そうに尋ねられたことがある。

 

以下がそのやり取りだ。

 

鳩

 (Photo by ingridtaylar)

 

エジプト人

「日本の有名な公園には、沢山の鳩がいると聞いたことがあるが、それは本当か?」

 

「本当だよ。東京で最も有名な公園のひとつである上野公園や、ヒロシマ・長崎の原爆記念公園などはその代表みたいなものだよ。」

 

エジプト人

「何故そんなに沢山の鳩がいるんだ?」

 

「どういうこと?」

 

エジプト人

「つまり、普通に考えれば人間に食べられてしまうはずだろ?それが何故そんなに多くの鳩が存在できるんだ?」

 

私「誰も食わないよ・・・」

 

エジプト人「えっ!?日本人は鳩は食わないのか!?」

 

私「日本の教育水準は高いから、勝手に公共の物に手を出したりしない。何より鳩は平和の象徴であり、食べる文化はないよ。」

 

エジプト人

「その公園がエジプトだったら、間違いなく一夜にして鳩が全滅するな・・・」

 

 

普通の日本人にはピンと来ないだろうが、これが文化的な背景の違いからくる「ズレ」だ。

 

エジプトには鳩を食べる食文化が存在する。

 

それも鳩は超高級食材であり、牛肉のように肉質によりいくつものランクが存在する程だ。

 

エジプトで養鳩場と言えば非常に高いステータスと冨の象徴であり、故にエジプト人男性にとって養鳩場を持つことは夢なのだ。

 

日本男人「俺、麻布にマンションひとつ持ってるけど~♪」

日本女人「キャー!ステキ♡!!!」

 

エジプト男人「俺、カイロ郊外に養鳩場ひとつ持ってるけど~♪」

エジプト女人「キャー!ステキ♡!!!」

 

こんな感じだ。

 

ちなみに日本にやってくるエジプト人の知り合いは、たいがい上野公園辺りに生息している鳩を一度は食べる。

 

そして必ずこう言う。

 

「何故日本人が公園にいる鳩を食べないのか、ようやくその謎が解けた」

 

それは・・・

 

「死ぬほど不味いからだ!」

 

 

でしょうね・・・

 

エジプトの鳩は最高の餌、最高の環境で飼育された超高級食材だ。

 

しかも自らの羽根で飛び回るようになると、骨や筋肉が発達し、筋張ってしまう為、基本的には飛ぶ段階より前に出荷されてしまう。

 

目の前にあるものは何でも食べ、自由に飛び回る日本の鳩が美味い訳が無い。

 

彼らは自信満々にこうも言う。

「世界有数の経済大国で、美味いものばかり食べている日本人に、あんな不味い鳩が食べられる訳がない!」

 

確かに大切に育てられたA5ランクの牛に比べたら、野性の牛なんて美味くないわな!

 

って・・・ 

 

いや、だから違うって・・・

 

そこじゃないのよ。

 

日本人は公共の物を勝手に食ったりしないし!

 

 

そもそも鳩を食べる習慣自体無いんだって・・・

 

鳩は平和の象徴だって言ってんだろ!!!

 

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異文化理解とは実に難しい。

 

 

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悪名高きアラブのIBM-「思い出の先生」

エジプト人は総じて約束や時間にルーズな民族だ。

 

アラブのIBM

 
とある著書で一躍有名になった「アラブのIBM
 

インシャッラー(I)

「神が望むならば」という意味のアラビア語
 
約束の後に必ず付ける。
 
もし、約束が果たされなかったとしても、それは神が望まなかったということになる。
 
本来は神に対して「約束を守りたいから、望んでね!」というお願いの意味合いが強いのだが、この言葉の特性上、約束をすっぽかした時の免罪符として機能してしまう一面も持つ。
 

ボクラ(B)

アラビア語で「明日」の意味。
 
私の住んでいた部屋はマンションの5階にあった。
 
エレベーターは壊れており、入居当時から使えなかった。
 
灼熱のエジプトで、毎回の上り下りはたいそう骨が折れる。
 
管理人に会う度に「エレベーターはいつ直るのか?」と尋ねていたが、いつも答えは「ボクラ、インシャッラー。」だった。
 
これは半永久的に直らないと悟ったのは、入居から4ヶ月くらい経った頃だった。
 
 

マーレイシュ(M)

アラビア語で「ごめんさない」、或いは「仕方ないね」の意味。
 
この世の森羅万象は全て神の思し召しなのだから、何が起こっても起こらなくても仕方がない、ごめんねとなる。
 
事件ならまだしも、簡単な事故や出来事ならばこの言葉ひとつで、大体かたが付く。
 
 
A「いつ私の家に来る?」
 
B「ボクラ、インシャッラー(明日、神が望むなら)」
 
A「インシャッラー(神が望むなら)」
 
 
A「昨日は私の家に来なかっただろう?」
 
B「マーレイシュ(ごめんなさい)。」
 
A「マーレイシュ(仕方ないね)。」
 
 
こんな感じだ。
 
 
何事もきっちりとした日本人には極めて評判のヨロシクないIBMだが、そこには彼らなりの事情や、生活環境もある。
 
従って直ちにこのIBMが全て悪だと言うつもりもない。
 
だが、そうした背景を抜きにして事実だけ捉えるならば、確かに彼らは非常に時間や約束にルーズな民族だ。
 
 
私が通っていたエジプトのとある大学での話。
 
ある日の午後一の講義は、少人数のフスハー(正則アラビア語ムハンマド時代のアラビア語)の講義だった。
 
少人数だったこともあってか、何となく講義の前に集まり、連れ立って外に昼食を取りに行くのが通例となっていた。
 
 
その日はとても暑い日だった(いつもだが。。。)
 
昼食を取り、しばし休憩していると、
 
「海でも行きたいな」
 
誰とも無しに呟く。
 
(私の街は海沿いに広がっており、四六時中海に入ってはいたが。。。)
 
「行くか?」
 
みんなが相槌を打つ。
 
次の瞬間、我々の足は自然と海に向かっていた。
 
もうとっくに授業開始時間は過ぎていたが、照りつける暑さで脳が溶け、そこにいる人間がほぼ講義に参加する生徒全員だという事実を忘れてしまったらしい。
 
さすがに泳ぐ訳にはいかなかったが、ハーフパンツの裾をビチョビチョに濡らしながら、しばしエジプトの海を満喫した。
 
満足した我々は、真っ黒に日焼けした顔をほころばせながら、勢いよく教室のドアを開けた。
 
 
そこには。。。
 
 
教壇には鬼の形相をしたエジプト人女性が、ひとりポツンと立っていた。
 
言うまでもなく、この講義を担当している講師だ。
 
 
そそくさと席に着く私達。
 
一瞬不気味な静寂が教室を包み込む。
 
 
次の瞬間!
 
 
「あんたたち、全員揃って遅刻するなんて、どういうことなの!?」
 
彼女の雷が炸裂する。
 
当然だ。
 
 
「授業に遅刻するなんて、アラブ人じゃあるまいし、先進諸国の民族のすることじゃないわよ!」
 
アラブ人と比較されても困るが、言われてみれば確かに生徒は皆、日米欧の先進国出身者だ。
 
 
「すんません。天気が良かったもので、つい海に行きたくなりましてね。それでちょいとばかし、バシャバシャやっちまいまして。。。」
 
みんなを代表して私が経緯を説明する。
 
「はっ!?天気が良いから海に行ってて授業に遅刻!?
 
 
夏のエジプトなんて毎日天気だわ!!!」
 
 
彼女のプロメテウス火山が噴火した!
 
 
我々に出来ることと言えば、真夏の屋外とは対照的に、暴風雨の吹き荒れる教室で、嵐が過ぎるのをひたすら耐え忍ぶしかない。
 
一通り悪態をついた後、怒り冷めやらぬ彼女は、最後に大声でこう言い放った!
 
 
「そもそも理解不能な理由で授業をすっぽかすなんて、
 
 
あんたらはエジプト人か!?」
 
 
「マーレイシュ」と呟き、うなだれる我々に、
 
「ノット マーレイシュ!!!(仕方なくない!)」と叫ぶ姿は、もう講師と言うよりジャイアンそのもの。
イスラム文化もへったくれも無い。
 
しかし内心は自国の文化ガン無視した挙句、外国人を自国民に例えて本気で罵倒するエジプト人の姿が、あまりに滑稽過ぎて、笑いを堪えるのに必死だったことを、今でも良く覚えている。
 
 
ちなみにその後、歯の痛みを和らげる為に、リラックス効果の高い香水を探しに行くという理解不能な理由で、彼女が2週間ほど講義を休講にしたところは、流石エジプト人と言ったことろだが。。。
それはまた別のお話。
 
 
何かと不思議な先生だったが、今では良い思い出だ。
 
 
今週のお題「思い出の先生」
 
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【完全解説】ムスリム(イスラム教徒)が豚肉を食べない本当の理由!

イスラムといえば「豚を食べない」というイメージが非常に強い。

確かにイスラム教では豚肉を食することは固く禁じられており、イスラム教の聖典クルアーンには随所に豚肉禁止についての記述が見られる。

では何故イスラム教では豚肉を食べることが禁止されているのか、徹底解析!

 

【完全解説】ムスリム(イスラム教徒)が豚肉を食べない本当の理由!

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エジプト人の物乞いに○○された話!文化の違いが生んだ悲劇・・・

今週のお題「好きな服」

 

昔からダメージジーンズが大好きだった!

それも下の写真の様な結構ボロボロのやつが。

 

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(写真はイメージです)

 

日本の大学に通っていた時、交換留学生としてエジプトの大学に留学が決まった。

 

就学ビザを取ったり、生活用品を用意したり・・・あれやこれやと準備で忙しかったが、その合間を縫って、エジプトで使用するダメージジーンズを作ることを忘れなかった。

エドウィン、リーバイス、Leeなどのジーパンを購入し、アラブの街を闊歩する姿を想像しながら、丹精込めて数本のジーンズを作り上げた。

 

現地に着いてみて分かったのだが、エジプトにはダメージジーンズを履く習慣は皆無だった。むしろ梅宮辰夫バリに青々としたジーンズにアイロンをかけ、綺麗に磨きこまれたローファーを履くのが若者の流行りだった。

草彅剛が聞いたら即倒しそうなファッションスタイルだが、貧富の差が激しいエジプトでは、家柄の良い家の人間ほど、より綺麗なジーンズ、より磨きこまれたローファーの傾向が強くなる。

 

そんなエジプトで世界第二位の経済大国からきた留学生はと言えば、問答無用で金持ちグループに分類される。

ボロボロのジーパン姿で、トップスも見るからに使い込まれた古着で固めた日本人など、少々大げさに言えばビルゲイツがパンツ一丁で街を徘徊している様な異様さがある。

 

当時からそれ程治安がそれ程良くなかったエジプトでは、私達日本人やヨーロッパなどからの留学生は、全員治安の良い高級住宅街に住んでいた。

何故か乞食みたいな格好をしたアジア人のボンボンが、高級住宅街からエジプト人の中でも、真のお金持ちのエリートしか入れない名門大学に通っている。

周囲のエジプト人からすれば全くもって意味不明な現象であり、常に好奇の的だったが、当時の私はそのことに全く気が付かなかった。

街中で指をさされることは日常茶飯事だったが「あれが日本のファッションだ!」と言われているとばかり思っていた私は、完全に勘違い野郎と化していた。

 

そんな私だったがある日その勘違いを、まざまざと思い知らされる事態に遭遇する。

 

その日自慢のダメージジーンズと古着に身を包み、市場を歩いていると、同じ留学生仲間が物乞いに施しを要求されていた。

物乞いをはじめ、貧しい現地人が金持ちの外国人に金や食べ物をたかることは、よくあることだ。

私が知り合いの留学生に近づいていくと、その男性は私に向かって施しを求めてきた。

しかしその動きが一瞬止まる。

私を凝視した彼は、「すまん」と一言言い残し、すごすごと去っていった。

 

事態は良く分からなかったが、取り敢えずしつこい物乞いもいなくなったので、私達は連れ立って歩き出した。

すると少しして、先程の男性が大声で叫びながら走って来た。そして1ポンド札(確か当時の日本円で35円くらい)を私の手に握らせた。

理解不能の事態にお金を突き返そうとするが、物乞いはお金を握った私の手を、更に自分の手で強く握り、「いいんだ、いいんだ」と繰り返す。

いくら返そうとしても、一向に聞き入れようとしない。

 

「持つ者が持たざるものに施しを与えるのは、イスラムの義務だ!」

 

そう物乞いは私に向かって必死に語りかける。

 

喜捨

 

確かに以前ブログで書いた通り、イスラムには自らより貧しい者に施しを与えることが、最も重要な教義のひとつとして存在する。

 

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そうして与えた者は徳を積み、与えられ者は生きることが出来る。

 

それでお金をくれたのね。

 

あざーす!

 

ってふざけんなー!!!

 

何で物価水準のはるかに低いエジプトの物乞いに、世界第二位の経済大国出身で、そこそこ金持ってる両親を持つ俺様が、貧乏人扱いされなきゃならんのだ!!!

 

ブチギレた!

 

「ふざけんなー!!!」

 

強引に物乞いの手を払いのける。

 

すると物乞いが涙目になりながら、私に言うではないか。

 

「どうか受け取って欲しい。私より貧しい者に金を恵んでもらおうとしたなど、徳を積むどころが、罪を増やしかねない。」

 

二つほど補足すると、まずアラブの乞食は本末転倒だがこうした「喜捨制度」がある為、実は結構裕福だ。

言い方は悪いがボロを身にまとい、人々の優越感と信仰心を満足させる為のある種の職業と言ったら分かり易いだろうか。

もうひとつはイスラムにおいて、全ての会話には神が同席しているとの考え。つまり2人で会話しているつもりでも、実際は神1、人間2での会話となっており、あろうことか彼は神の前で自分より貧しい(と何故か信じている)人間から金を取ろうとしたことになる。

物乞いはイスラムのこうした制度で生かされているという自覚がある為、意外とこうしたことを気にする。

 

しかし全然理解出来ない!

 

「何故俺があんたより貧乏だと思われなきゃならんのだ!?」

 

強い口調で問い詰めていた。

 

すると物乞いの口から思いもよらない一言が。

 

もうお気付きですね?

 

「おおっ、ジーパンも買えない可哀想な人間よ。希にあんたの姿をこの市場で見かけるが、どれも俺の履いているジーパンの方がまだマシだ。そんな貧乏なあんたが、こうして我々の国に勉強に来てくれている!」(若いヨーロッパ人やアジア人は、ほぼ100%学生)

 

何かが音をたてて崩れ去った。

 

そう言えば何故か他の留学生に比べて、私はボラれることが極端に少なかった。お金持ちの行く店に行っても、あまり店員が寄ってこないのも、貧しい子供達に異様に人気があったのも・・・

空を覆う雲が風に流され、一気に日の光が差すかの如く、様々な疑問がみるみるうちに解決していく。

 

(そういうことだったのか・・・)

 

近くにいた肉屋の店主がゆっくりと近づいて来て肩を叩いた。

 

「もらっておけよ。困った時は助け合う。それがイスラムだ。」

 

店主の顔はとても優しかった。

 

力なく1ポンド札を握り締め、物乞いにお礼を言ってその場を後にした。

 

ショックだった。お陰でどうやって家に帰ったのかすら覚えていない。ただ灼熱の太陽にさらされ、やけに腕がジリジリしていたことだけは覚えている。

 

 

その夜全てのジーンズを捨てた。

 

不思議と未練は全く無かった。

 

 

毎年多くの日本人が訪れる屈指の観光地。

 

しかし物乞いから本気で施しを受けた日本人は、私が初めてに違いない。

 

異文化理解とはかくの如き難しきモノなり。

 

そう思い知らされたエジプトの夏・・・

 

 

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【六信五行】イスラム教の戒律は何故厳しい?断食・礼拝・聖地巡礼・・・

イスラム教徒(ムスリム)の基本行動である五行・・・信仰告白・断食(食事)・礼拝・聖地巡礼喜捨について触れてみたい。

 

イスラム教と聞いて殆どの人が真っ先に思い浮かべること言えば、

「戒律が厳しい」

「野蛮・原理主義・テロ」

「よく知らない」

そんなところではないだろうか?

 

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(photo by R. Mitra) 

 

では何故イスラム教は戒律が厳しいのだろうか?

今回はそんな「戒律」について取り上げてみたいと思う。

「野蛮・原理主義」などの概念ばかりが先行してしまいがちなイスラム教だが、まずは相手をよく知ることなくしては、問題の解決は有り得ない。

 

ということで、私が大学時代やエジプト留学時代に学び、或いは導き出したイスラムの基本的な戒律「五行」の意味するところを書いてみたい。(ちなみに私は根っからの無神論者なのだが・・・)

何かの参考にしていただければ有難い。

※五行とはイスラム教徒が守るべき、最も重要で偉大とされる五つの行ない。

六信とは、イスラム教徒が信じるべきとされる六つの存在。

  

イスラムの基本理念
イスラム」とはアラビア語で「委ね」を意味する。委ねる対象は勿論「神(アッラー)」。ちなみに「アッラー」とはアラビア語でズバリ「神」の意。
これは人間の力ではどうにもならない厳しい自然環境で、良くも悪くも人智の及ばない次元での「誰かのせいにしたい」という運命論的思考が働くのは、古今東西、洋の東西を問わず人間という存在の常なのだろう。
しかし、「委ね」にはもうひとつ意味が存在する。それは元来「人間とは怠惰な生き物だ」という、謂わば性悪説に似た考え方だ。だからこそ自由にしてしまっては、堕落の一途をたどる。
そこで神が厳しく管理するというのが、イスラムにおける「委ね」の基本理念だ。神からのメッセージと共に、厳しい神からの管理体制を紹介したい。

 

アッラーの他に神はなし、ムハンマドアッラーの使徒である」
イスラム教徒(ムスリム)になる場合、「敬虔かつ公正な男性イスラーム教徒」2人の前で信仰告白を唱えれば、その瞬間からムスリムとして認められる。
教会に赴き神父(牧師)から洗礼を受けるキリスト教や、僧侶から戒を授かる(授戒)仏教に比べて簡素。キリスト教における洗礼名や、仏教における戒名に当たる特別な名前も無い。
人が何かを信じることはごく自然なことであり、その証明に特別な儀式や面倒な手続きなど、不必要というメッセージだろうか。

 

礼拝(サラート)
1日5回メッカに向かっての礼拝義務

夜明け(起床)

夜明け後(仕事前や午前中のブレイクタイム)

昼(昼休み)

日没(仕事終わり)

夜(就寝前)

ここまで書けば、何かにお気付きだろうか?
目覚まし代わりの1発目から始まる礼拝は、神の定めた、ある種のタイムスケジュールだ。純粋に神への信仰心を示す為の行為の裏には「規則正しい生活をせよ」との神からのメッセージが込められている。
金曜日(イスラム教の祝日)は少なくとも1回はモスクに出向き、皆と共に礼拝することが良しとされる。
地域内でのコミュニケーションを活性化させ、結束力を高めよとのメッセージなのだが、今日の日本人にとっては何とも耳が痛い。

 

喜捨(ザカート)
裕福な者が貧しい者へ行う寄付・喜捨・施し。
現在では「ザカート」を一定の財産にかかる財産税(救貧税)、「サダカ」を自由喜捨と呼んで区別しているが、元々はどちらも自主的な喜捨を表す。

共同体としての性質の強いイスラム世界が生み出した、社会福祉システムが、この喜捨制度。そこには富や成功とは(神の意思による)周囲の協力があってはじめて得られるものとの考えがある。

故に「周囲に感謝し、他の人々を気遣う心を忘るべからず」という神のメッセージがある。人間はひとりでは何も出来ないということだ。

 

断食(サウム)

イスラム暦ヒジュラ)の第9番目の月の1ヶ月間、日の出から日没までの間、飲食・喫煙・性交の禁止。

ヒジュラ太陰暦の為、その年によって時期は異なる。

唾液を飲みことは禁止されているわけではないが、敬虔なイスラム教徒の男性は、唾すら飲まない。

断食

・ある程度腹を空腹にすることで、節度とバランスを保った生活環境を構築する。

・体を休める。

・食べ物の有り難みを知る。

・思考を活性化させる。

断食中の食事

断食期間中は日没後に家族や親戚・友人を招いて一緒に食事を摂る。大勢での食事はタダでさえ美味しいものだが、大変な空腹時となれば尚更だ。

食を断つというイメージが強いが、その他にも騙す・暴力・喧嘩・邪な考えを巡らす等の良くない行ないを断ち、寄付やその他多くの善行に励むことが求められる。

・自らの行いを省みて品格を高める。

・今までの罪を洗い浄める。

・自らが苦しみを体験することで、他人の痛みや苦しみを知る。

・社会の連帯感を高め、弱者を救済する。

上記の事柄を目的とした謂わば「精算・浄化・再生」の期間だ。

小さな子供、妊婦、老人、病人、旅行者、重労働者、戦争中の兵士等、正当な理由のある人間は免除されており、柔軟性は比較的高い。(出来る限りにおいては、諸事情が解決した後、やり直す事が求められる。)

うっかり食べてしまっても、問題にはならない。

生命に関わる薬の投薬等は禁止されていない。

昼夜を通した断食や、ラマダン月以外の月も断食を行うことは、原則禁じられている。身体を激しく痛めつけることを目的としていないからだ。

「いつもいつも好きな物食って、やりたい放題しながら生きてるんだから、1年にひと月くらい我慢というものをしてみろ!」

「空腹で活性化した頭で自らの行いを省み、行動を改め、そしてその証として他人の為に善行をしてみろ!」

暴飲暴食で酷使した体を休め、貧しい人を思いを、自らは食べられることに、ひいては生きていることに感謝しろ!」

「家族やなかなか会えない親戚・知人を招き食事を共にしろ!彼らに感謝し、人と人との親交を深めろ!」

これが神からのメッセージだ。

 

巡礼(ハッジ)

一生に一度イスラム最大の聖地メッカ(マッカ)にあるカアバ神殿へ巡礼する行ない。 イスラム暦ヒジュラ)の第12番目の月の8日~10日を中心に行われる。

他の五行と違い、経済的・体力的に可能な人間だけが行えば良いとされており、必ずしも強制ではない。

ハッジを完遂した者は、イスラム社会で大きな尊敬を集めていたが、近年は経済・交通手段の発達により、メッカから遠く離れた地域のムスリムにとっても、ハッジは一般的な行ないとなりつつある。

義務ではないが、イスラム教第2の聖地メディナ(マディーナ)の「預言者のモスク」(ムハンマドの墓)にも詣でることが通例となっている。
  ハッジはムスリムにとっての夢であり、人生におけるひとつの大きな目的となっている。イスラムへの信仰心を強大なものにさせ、イスラム社会の連帯を構築する為の大きな役割を担っている。

それでは裏に隠された神からのメッセージとは?

今でこそ旅行は一般的な娯楽となりつつあるが、昔は旅行など庶民にとっては夢のまた夢だった。

その旅行に大義名分を与えたのがハッジだ。タダでさえ娯楽の少ない時代。毎日毎日働き詰めの中、人生そのものに夢や希望を与えるのに大いに役立ったはずだ。

つまり一生に一度くらいは最大級の娯楽である旅行を楽しみ、同時に幅広い見識と高い信仰心を得よ!というのが神からのメッセージだ。

 

六信
②天使
③啓典(イスラム聖典コーランなどの4つの啓示書物)
④使徒・預言者
⑤来世
⑥定命(この世の森羅万象は全て神の意思により定められる)
五行と合わせて「六信五行」と呼ばれ、イスラムの根幹を支えている。

 

如何だっただろうか?

原理主義を声高に唱える一部の過激派によって、「イスラム=テロ」のイメージが定着してしまったが、殆どのイスラム教徒は、蛮行など望んでいない。

厳格な神の管理下のもと、心から世界の平和を願って暮らしている。

アメリカをはじめとする西洋諸国のプロパガンダに乗っかって、「イスラム=敵」という極端な思考に走ることは、待っていただきたい。

少しでもイスラムを身近に感じ、お互いが理解し合うことで、混沌とした世界に平和が訪れることを願って止まない。

【徹底解説】イスラム教で火葬・焼殺が禁止されている訳(イスラムの葬儀)

イスラム教では葬儀やその他の場合において、一般的に火葬や焼殺(焼身自殺)は固く禁止されており、死刑を超える最高刑としてのみ行われる行為だ。

イスラム教徒にとっての火葬・焼殺(焼身自殺)の意味するところを考える。

 

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 アフガニスタンの首都カブールで3月、女性がイスラム教聖典コーラン」を焼却したとして群衆に暴行、殺害された事件で、同国の裁判所は6日、4人の被告に死刑判決を言い渡した。

 事件は3月19日に起きた。ファルクフンダさん(当時27歳)は男たちから殴る蹴るの暴行を受け、体に火をつけられたうえ、橋から川へと投げ落とされた。

アフガニスタンの宗教当局によれば、ファルクフンダさんがコーランを焼いたという証拠は見つかっていない。

 

焼殺と聞いて思い起こされるのは、イスラム国がヨルダン人パイロットを焼殺した事件。私を含め多少なりともイスラム文化に精通している人間からすると、このニュースは衝撃だった筈だ。

イスラムにおける焼殺(火葬)について考えながら、パイロット殺害を振り返りってみたい。

 

古代エジプトの死生観

 

そのルーツは古代エジプトにある。

古代エジプトでは来たるべき復活の日(来世の始まり)に備え、魂の宿り所となる現世の肉体を、そのまま保存しておくという宗教観が、ミイラ作りの文化を育んだ。

 

啓典の民にとっての火葬

 

その思想はその後の宗教にも多大な影響を与えるのだが、これはキリスト教ユダヤ教イスラム教といった所謂、「啓典の民」と呼ばれる、これらの宗教にとっても例外ではない。

教義によれば人間は死後、何れ訪れる最後の審判を経て復活する。

天国と地獄、永遠に続く来世をどちらの場所で過ごすかについては、現世での行ないにより、定められるとある。

天国に行った者は永遠の幸せを、地獄に行ったものは永遠の苦痛を味わい続ける訳だが、そこで復活の大前提となるのが、この世ので使っていた肉体、つまり遺体が残っているか否かということなのだ。

遺体の消失は最後の審判を受ける権利の消失であり、即ちそれは来世での復活を完全否定するものとなる。(遺体の消失とは、火葬された遺体を指すもので、土葬された遺体については、遺体の消失は認められないと判断される。)

これがイスラムで火葬が御法度とされる所以である。

一方同じ啓典の民でも、先進国におけるキリスト教国を中心に、宗教離れが進んでいる。また土地の確保・伝染病等の観点から、カトリック教会が火葬禁止を解いたことにより、アメリカなどでは火葬率が30%を超えた。

しなしながらイスラムと言えば、今でも大変に宗教に熱心な人々が多いことで知られる。生死の有無に関係なく、最後の審判を受ける権利を奪うことになる焼殺(火葬)などという行為は、ある例外を除いて、今も固く禁じられている。

 

イスラムにとっての火葬

 

イスラム教において焼殺(火葬)は、死刑を遥かに超える最高刑だ。

イスラム」とはアラビア語で「委ね」を意味する。これは基本的には全ての判断を神に委ねるということだ。

よって基本的には例え殺人を犯したような大悪人であろうとも、最後の審判における裁きは、皆一様に神が下すという考え方がある。

神が決断を下すまでもなく、来世に蘇らせたくはない、蘇る資格すら無いと判断さられた時のみ、遺体は火葬される訳だが、先述の通り、よほどのことがない限りこの決断がなされることはない。

故にイスラム教徒にとって、精神的にこれ程重い裁きは存在しない。

イスラム国がパイロットに行った焼殺や今回コーランを焼いた疑いで火を付けられた女性は、神の裁きを待つまでもない、極悪非道の大罪人として、来世への復活という最大の救いすら、奪われたことを意味する。

 

それ以外にもいつくか理由がある。

アラビア語で「火」のことを「ナール」と言うが、この単語は同時に「地獄」という意味も持っている。遺体を火で炙ることは、即ち死者に地獄の苦しみを味あわせることと考えている。

また、生命は大地から生まれ、大地に育てられ、そしてまた大地に帰るという考えもあり、そうした観点からも土葬が大きな意味を持ってくる。

 

日本人と宗教

 

刹那主義や死んだら終わり、という考え方が一般的となりつつある、現代日本人にとっては、理解し難い思想のように思えるかも知れない。

しかしながら歴史を紐解いてみれば、まだ宗教というものに熱心だった、我々の祖先を振り返ってみると、どうだろうか?

我々の祖先達は苦しい日々の暮らしの中で、来世に一縷〔いちる〕の望みを見た。

現世の苦しい暮らしは、因果応報、つまり前世での行いが良くなかったからだと、信じて疑わなかった。だからこそ来世こそより良い人生を送れますようにと、必死に念仏を唱え、仏の慈悲にすがろうとしたのである。

辛い現世を耐え抜いた先に、安穏な来世がある。古今東西、洋の東西を問わず、宗教とは往々にしてを、そうしたことを諭すものなのである。

 

ヨルダン人パイロットの焼殺

 

宗教の本来の姿が今も尚、脈々と息づいている文化、それがイスラム文化だ。

その一縷の希望を打ちひしがれた、パイロットの遺族や国民の心中、いかばかりのものか、察するに余りある。

 

勿論パイロットの遺族は「ジハード(聖戦)」を、最後の拠り所とするだろう。

イスラム教徒にとって、その存在を脅かす異教徒との戦いをジハードと呼び、ジハードで命を落とした者は、その他一切の条件に関わらず、即天国行きが約束されると言う。

アッラーの教えに背き、蛮行を続けるイスラム国。彼らをイスラムの名を語る背信教徒と見るならば、パイロットは真のイスラムを守るジハードの中で、殉教したと捉えることも出来る。よってヨルダン人パイロットの家族は、天国行きは約束されると、主張するのは当然の流れだろう。

しかしながら遺族とヨルダン国民にとって、家族(ヨルダン国民にとっては自国民)が殺されたことと、そして天国行きか地獄行きか解釈の違いはさておき、現実として焼殺されたという事実は、決して拭いきれない程、暗く深い影を落としたことだろう。

 

仮にも「イスラム」と名乗る人間達のやることとは、到底思えない、悪魔の所業と言わざるを得ない。断じてイスラム教徒の集団などとは、認めることは出来ない。

この様なイスラム教徒を騙る一部の愚者達の為に、平和を願う多くのイスラム教徒達が、非難の的になることは、とても悲しことだ。

 

いつの日か世界中の宗教がお互いの存在を認め、尊敬し合える世界来る日は訪れるのだろうか・・・

 

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イスラム教における「楽器」~燃やされる楽器・たばこ・酒~

イスラム国に燃やされる楽器。

これは即ち、イスラムでは楽器を使った音楽が禁止されているということなのだろう?

 

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イスラム教聖典コーラン」では、楽器が明確に禁止とされている箇所は見当たらない。

しかし、イスラム教徒が大切にしているのは「コーラン」だけではない。預言者ムハンマドが語った言行録である「ハディース」や、同じくムハンマドの慣行や範例をまとめた「スンナ」がこれに当たる。

ハディース」の中で、ムハンマドがたまたま聞こえてきた音楽に耳を塞いだり、楽器は悪魔の呼びかけだと語ったことが記されている。

 

詩歌に節を付けてアカペラで歌う光景自体は珍しくはないが、「ハディース」に則り、基本的に楽器による演奏を伴う音楽は、忌避される傾向にある。

スラム国により、楽器が燃やされる動画がアップされるのはこの為だ。彼らは如何に自分達が厳格なイスラム教徒であるかを、強烈にアピールしているという訳だ。

 

最近イスラム国が(IS)が「燃やす」ことをアピールするプロパガンダが目立つ。

イラク西部アンバル県バグダディでは、地元警察やスンニー派の武装組織「アス・サフヴァ」のメンバー達45人が生きたまま焼き殺された。

ヨルダン人パイロットが焼殺されたことは記憶に新しが、敵対する人間や楽器だけでなく、たばこ、酒など、イスラムにとって悪と見なされる存在が次々に焼かれている。

 

音楽・たばこ・酒・・・

これらはどれも人間を気持ち良くさせる。ついつい楽しくなりすぎて、ハメを外す。人に迷惑をかける。他の邪教や悪魔そのものに心を奪われてしまうとも限らない。

「人間とは堕落した生き物であり、だからこそ神が厳しい規則で縛ってやらねば人の道を踏み外す」

それこそが「神の思し召し」だと考えるのがイスラム教だ。

 

敵対する人間や人間を惑わす「悪」を、「地獄」と「無」の象徴である炎で徹底的に焼き尽くす。

こうした行為を執拗なまでに繰り返すことで、各国に対しイスラム国が如何に鉄のように硬い意思を持っているかを示し、世界のイスラム教徒に対して、厳格なイスラム国家であることを強烈にアピールする狙いがある。

 

 

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