イスラム教大巡礼(ハッジ)で奪われた命-宗教とは何だろうか?

イスラム教最大の聖地でまたも悲劇が起った。

 

【カイロ時事】サウジアラビアイスラム教聖地メッカ近郊で24日、イスラム教大巡礼(ハッジ)に参加していた群衆が混乱の中で押しつぶされるなどし、サウジ当局によると少なくとも769人が死亡、934人が負傷した。 

時事通信

 

メッカでは先日モスク拡張工事に伴い、100人以上が死亡する悲劇が起きたばかりだ。

 

【カイロ時事】サウジアラビア西部のメッカで11日、巨大クレーンが倒れ、イスラム教の聖地カーバ神殿があるモスク(イスラム礼拝所)を直撃し、治安当局によると107人が死亡、230人以上が負傷した。 

時事通信

 

以前書いた通り、大巡礼(ハッジ)はイスラム教徒にとって、一生に一度の一大イベントだ。

 

サウジアラビア メッカ カアバ神殿 マスジド・ハラーム

巡礼者で溢れるカアバ神殿(Photo BY Al Jazeera English-Wikipedia

 

その巡礼で命を落とすとは、何ともやりきれない。

 

 

そういえば2015年4月25日に起こったネパール地震

 

家も家族も失ったネパール人女性が、崩れかけた寺院で一心に仏に祈りをささげる写真を見た。

 

宗教とは?祈りとは?神とは?仏とは?

 

そんなことを考えずにはいられない出来事が頻発している。

 

 

人間とは何とちっぽけな存在なんだろうか・・・

 

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STAP細胞はES細胞-最終結果発表

9月24日付けの英科学誌ネイチャーに掲載された、2つの論文が注目を集めている。

 

英科学雑誌ネイチャー

 

ひとつは米ハーバード大学を中心とする世界の7グループが行った133回の再現実験で、一度もSTAPが確認されなかったという内容の論文。

 

もうひとつは「STAPとされた万能細胞は、ES細胞由来のものだった」とする理化学研究所の最終分析結果だ。

 

STAP細胞についての論文自体は昨年の7月に撤回されており、撤回された論文に関する追加報告が掲載されるのは非常に異例なことだが、逆に如何に世界に与えた衝撃が大きかったを物語っている。

 

何れにせよ理化学研究所ハーバード大学や、理化学研究における世界的な権威達による再現実験により、STAP細胞問題に完全に終止符が打たれることとなった。

 

街の声も聞いても私自身にとっても「遠い過去の出来事」となりつつある事件だが、相変わらずES細胞混入の経路など、詳しいことは分かっていない。

 

結局小保方氏が一連の騒動について、自らの口で事故なのか偽装なのかを語ることも、国民に謝罪することも無かった。

 

小保方晴子

(ANNニュース)

 

思えば日本は伝統的に「事なかれ主義」を地で行く国民だ。

 

他人との揉め事を極力避け、波風を立てずに平穏無事に人生を乗り切る。

 

これは和を大切にし、みな仲良く生きていこうという日本人の良い一面であることも確かだが、「熱しやすく冷めやすい」特性も相まってか、最近はやたらとうやむやにされる事件・事故が増えている気がする。

 

小保方氏によるSTAP細胞事件。理研は全て小保方氏の責任だったと結論付け、検証期間を前倒しで終了した。

 

小保方氏の偽装としながらも、敢えて深くは掘り下げ、追求することもなく、多額の血税を無駄にした小保方氏がその罰を十分に受けたとは言い難い。

 

当の小保方氏は涙ながらに「STAP細胞は有ります!」などと最後まで訴えておきながら、その後メディアの前に姿を現すことはしなかった。

 

「事なかれ主義」と「熱しやすく冷めやすい」国民性により、大した追及・糾弾・改革もないまま既に事件は過去のものとなりつつある。

 

矢口真理の事件にしてもそうだが、晒し者になろうとも、きちんと謝罪・釈明の場を設けさせるべきだと思う。

 

法律や道徳、自分の仕事などに関して、相手に多大な迷惑をかけたならば、自らの非を認め、相手に直接謝罪するのは当然のことだ。

 

 

非を認めてけじめをつける、そしてイチから失敗を省みることで、次に生かす。

 

そうして失敗を次に生かすからこそ、「失敗は成功のもと」なのだ。

 

それがなければ、失敗は「タダの失敗」にしか過ぎない。

 

そんなことをつい感じさせられた、STAP細胞の最終結果報告だった。

 

今からでも遅くは無い。 

ネイチャーに掲載された最終結果報告を受けて、小保方氏や小保方氏を取り巻く人間達の、人間として当たり前の「英断」に期待したい。

 

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戦勝国では9月2日が対日戦争終戦記念日-第二次世界大戦-

2015年8月15日 日本は70回目の終戦記念日を迎えた。

 

意外なことに第二次世界大戦(太平洋戦争)をどの時点で終戦と捉えるかは、国によって若干異なる為、終戦の日は一定ではない。

 

そして今日9月2日 戦勝国であるアメリカ・イギリス・フラン・ロシア・カナダでは対日戦勝記念日を迎える。(時差の関係上日時は若干前後する)

 

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 東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリの艦上で、降伏文書に署名する重光葵。(右は加瀬俊一)

 

終戦に日に関する主な出来事

 

 

★1945年8月14日★

 
 

日本政府がポツダム宣言受諾 連合国側に通達

 

この日を終戦の日としている主な国や地域

 

 

 

★1945年8月15日★

 
 

天皇自ら国民に日本の敗戦を発表(玉音放送

 

この日を終戦の日としている主な国や地域

 

 

★1945年9月2日★

 
 

日本政府が降伏文書に調印

 

この日を終戦の日としている主な国や地域

 

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 降伏文書に署名するダグラス・マッカーサー

 

 

 

★1945年9月3日★

 
 

ソ連で対日戦勝祝賀会が行われた。

 

この日を終戦の日としている主な国や地域

 

過去この日を終戦の日としていた主な国や地域

 

 

 

★平和への歩み★

 
 

太平洋戦争を戦い、多くの日本人の命を奪った元アメリカ兵が呟いた。

 

「戦争とは壮大な規模の殺し合いだ。」

 

また元日本陸軍の兵士はこう語る。

 

「出会ったら最後、こんにちはを言う感覚で銃の引き金を引かなければならない。それが誰かさえ知らないのに。」

 

 

日常で1人殺せば殺人犯、10人殺せば殺人鬼、だが戦場で100万人殺せば英雄・・・

 

それが戦争だ。

 

 

安全保障が大きな転換期を迎えようとしている今日の日本。

 

巨大な軍事力を保持し続けるアメリカ。

 

軍備拡張を急ぐ中国をはじめとする新興国

 

一触即発の状態が続く朝鮮半島

 

血で血を洗う蛮行を繰り返すイスラム諸国。

 

 

終戦の日を迎え、世界中から寄せられる平和への願い。

 

今の世界に胸を張って報告出来る「何か」は存在しないように思えてしまうのだが、はたして我々人類は戦争の犠牲者と未来を担う自らの子供達に、今年は何を報告することが出来るのだろうか?

 

世界のリーダー達の動向に期待したい。

 

 

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【善と必要悪】ビヨンセが新曲MVで取った行動に非難殺到

社会における「善なるモノ」と「必要悪」について考える。

 

ビヨンセのセレブなMVが非難の的となっている。

 

セレブ

 (illust buysellgraphic.com)

 

 ビヨンセ、新曲MVで数百万円のシャンパンを無駄使い?

 ファンから批判や失望の声

 

 人気歌手ビヨンセがニッキ−・ミナージュとコラボし、新曲『Feeling Myself』を発表。ミュージックビデオが定額制音楽ストリーミング・サービス「TIDAL」で独占公開されると、ビデオの中のビヨンセの行動が波紋を呼び、ネット上に批判や失望の声が上がった。 

 問題の場面はジャクジーの中にいるビヨンセが、ドヤ顔でシャンパン(正確にはスパークリングワイン)の中身をプールに注いでいる箇所。E!Newsによると、シャンパンを無駄にしたということもさることながら、銘柄が「アルマンドブリニャック」だったことが大きな波紋を呼んだという。

 高級スパークリングワイン「アルマンドブリニャック」は300ドル(3万6000円)くらいの値段からあるそうだが、高いものになると数万ドル(数百万円)するという。撮影で実際に使われたものが幾らだったのかは不明。ジャクジーに流しているボトルの中身が本物だったかさえも不明だが、ネット上では批判や失望の声が殺到しているという。

 ツイッターなどには「ビヨンセが私の大学の学費分をジャクジーに流し入れた」、

「たった1000ドル(約12万円)でも誰かの人生をひっくり返すことができるのに。大学進学とか、遂にランチにありつけるとかね。だからビヨンセが1本2万ドルのお酒をプールに注いだことは、私にとって顔を叩かれたような打撃よ」

「1本2万ドルのシャンペンをジャクジーに注いだビヨンセに正直、感心しない。飢えに苦しむ人やホームレスの人がいるのに」

といった反応が出ているという。中には

ビヨンセはどのみち、あなたたちの学費を払ったりしない。ジャクジーにシャンパンを注がせてあげて」などと、擁護する声もあるようだ。 

 

biglobeニュース

 

「あっ、そうですか」と流してしまっても良い話題だが、折角なので少し深く掘り下げてみた。

 

 

ネット社会が強い攻撃的社会と言われて久しいが、手当たり次第に攻撃対象を見つけては叩きまくる現象は、まだまだ衰えを知らないようだと呆れる反面、世の中には実に面白い着眼点を持った人間がいるものだと、思わず感心してしまった。

 

個人的には様々な考えがあって然るべきだと思う。しかしながら、やはり常に冷静な心で物事を多角的な角度から見てみる姿勢だけは、忘れてはならない。

なぜならば我々が目指すのは「善なる社会」であることは間違いないのだが、世の中には確実に必要悪というものも存在するからだ。

純然たる正義や善だけでは割り切れないのもまた「社会」だ。

 

例えばコンビにでは毎日大量の弁当やおにぎりが破棄されている。

人々は口々に「何て罰当たりな!」「世界中には餓死する人間がいっぱいいるのに!」と叫ぶ。

確かにその通りだ。

だがその裏には大量に破棄される弁当を作る為に雇われた人間がいて、それを管理する人間がいる。それを運搬する為の人間がいて、運搬する為の車両を作る人間がいる。管理する為の建物を建てた人間がいて、管理システムを作った人間がいて・・・

裾野はどこまでも広い。

彼らはそうして給料をもらい、家族を養っている。

 

ビヨンセのシャンパンだってそうだ。

世界中のセレブが高級シャンパンを消費することで食べている人間がいる。派手なMVを撮影する為に雇われたスタッフがいる。

違った角度でみれば高価なシャンパンを撒き散らすビヨンセを見て、「将来私だって!」と静かに心を燃やす若者がいるかも知れない。

貧困からスターにのし上がったサッカー選手など、純粋に金持ちになる事をモチベーションとして、のし上がってきた人間は大勢いる。

 

ビヨンセがシャンパンを使ったつもりで、アフリカの貧困層に寄付するならば多少は意味のあることかも知れないが、「ビヨンセはあなたたちの学費を払ったりしない・・・」というコメントが示す通り、ビヨンセがシャンパン代をカットしてまで、そのお金を他人の為に使うことはないだろう。

 

つまりスターの豪奢な消費における役割とは、

①経済の循環

②見る者に夢と希望を与え、将来のスターを生み出す礎を築くこと

 

そうしたことである以上、例えもしそこに悪が存在するとしても、それは必要悪だと言えないだろうか。

 

勿論我々が目指すきは「善なる社会」だ。

世界中には貧困にあえぐ人々が沢山いる。そうした現実を目の当たりにして、必要悪として弁当をどんどん廃棄して良いなどとは言えないし、そもそも命ある食べ物を粗末にしていい道理など存在するべくもない。

だがどんなものにせよ、一方的に存在してはいけない悪と位置付けて、ひたすら攻撃するだけでは意味がない。

 

重要なのは高い次元に向けた社会提案だ。

捨てられる弁当が、社会の貧困層に届けられる具体的な仕組みを具体的に提案する、或いは具体的に検討されるように社会に対して訴えかけを行う。

確かに無駄を生み出さない為のしくみ作りも大切だが、生み出された「無駄」を「単なる無駄」で終わらせない為の具体的な行動も必要だ。

ビヨンセに対してであれば、シャンパン代と同等のお金が困窮者の大学基金に寄付されるように働きかけてみるなど。

そうした行いこそが、高い次元からの物言いではないだろうか?

 

単なる誹謗・中傷ではなく、問題を提議して、具体的に議論する。

それこそが我々が目指すべき成熟したネット社内の在り方だと思うのだか如何だろうか?

 

 

 

FIFAブラッター会長が辞任表明 ‐ だからFIFAは腐ってる!

 幹部らが多額の賄賂を受けとっていたとされる事件を受け、国際サッカー連盟(FIFA)のゼップ・ブラッター会長は2日、スイス・チューリヒで記者会見を開き、会長辞任を表明した。

 ブラッター会長は1975年にFIFAに入り、81年から事務総長、98年から会長を務めている。5月29日の総会で5選を果たしたばかりだったが、「FIFAの利益を考えて、この決断をした」と話した。

 2015年12月から16年3月までの間に臨時総会を開き、会長選を行う予定だ。(ロンドン=河野正樹) 

 

ヤフーニュース

 

FIFAのブラッター会長

 (Photo by ロイター=共同) 

 

ブラッター会長が突然の辞任を表明した背景には、一連の汚職事件に自らの側近が関わっていたとして、ブラッター氏への批判が日に日に高まっていたためだ。

 

 国際サッカー連盟(FIFA)をめぐる汚職事件で、米紙ニューヨーク・タイムズは1日、捜査関係者の話として、賄賂となった送金にFIFAのジェローム・バルク事務総長が関与していた疑いがあると報じた。

バルク氏は、FIFAのブラッター会長の側近で、同紙は「これまで知られていたより、ブラッター氏と金銭の流れが近づいた」と位置づけている。

 問題となっているのは、2010年の南アフリカワールドカップ(W杯)をめぐる1千万ドルの資金。米司法省によると、当初は南アの関係者が誘致の見返りとしてFIFA幹部に支払うと伝えていたが、政府による支出が困難になったため、FIFAの南ア向け資金が横流しされたという。

訴状では「FIFA幹部が送金した」と書かれているが、同紙によると、この幹部がバルク氏だったという。ただ、起訴状でもFIFA幹部が「賄賂になると認識していた」という記載はなく、バルク氏の名前も特定されていない。

 FIFAは1日、「バルク事務総長や他の幹部は一連の事件に関与していない」との声明を発表した。 

 

朝日新聞デジタル

 

米司法省がFIFA副会長など組織の幹部14人を、贈収賄などの罪により起訴。これを受けて、周囲からは当然辞任すべきとの声が高まったが、こうした声を無視して強引に会長選を実施。

姑息にも批判が大きくなりきる前にと、駆け足で行われた選挙では、アジア・アフリカの票を集めて当選。

会見では「FIFAをあるべき姿に戻す」などと、改革の旗印となる覚悟を熱く語っていたが、会長の座に信じられないほど強硬に居座り続ける姿勢は、世界中の人々から、異常な光景として受け止められていたことだろう。

 

しかし次々と明るみに出るFIFA幹部の失態に、遂には辞職を決意。「FIFAは私の人生そのもの。」「次期会長が決定するまでは、私が会長を続ける。」と、未練タラタラの辞任会見となった。

 ブラッター会長の身勝手な振る舞いに、多くの人間が振り回され損となってしまった訳だが、この会長にしてこの組織・・・。残念ながらそんな気がしてならない。

 

FIFAといえばFIA国際自動車連盟)などと並んで、言わずと知れた世界を代表するスポーツ組織の筆頭格。

スポーツマンシップに則り、文字通り世界中のスポーツ組織やアスリートの模範とならなくてどうするのだ?

 

そうした説教のひとつやふたつ垂れたくもなるのは、恐らく私だけではないだろう。

【漫画みたいな実話】ギリシャ登山隊、シェルパに逃げられ命拾い ネパール地震

以前「命の境界線」という記事を書いた。

 

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そなん中、思ってもみなかった事態により一命を救われたギリシア人のニュースに出くわした。

 

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 ネパールで25日に起きた大地震で、史上最悪の18人が死亡する雪崩被害が起きたエベレスト(Mount Everest)登頂を目指していたギリシャ人の登山家9人が、シェルパ(ネパール人登山ガイド)に案内代金を持ち逃げされたために登頂をあきらめ、地震前日に帰国して難を逃れていたことがわかった。

 難を逃れた登山隊のメンバーの1人は26日、ギリシャの公共テレビNERITに

「私たちの登山隊が先週、ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)に到着すると、雇ったシェルパが代金を持ったままいなくなっていることが分かった」

「事件をネパール当局に通報し、地震前日の24日にギリシャへ帰国することを決めた」と語った。

ギリシャ人9人、インド人9人から成るこの登山隊は、全員が無事にネパールを離れたという。 

 

AFP

 

持っていたバッグを犬に取られ、慌てて追いかけたら、上からコンクリートの塊が落ちてきて、九死に一生を得る。

もう漫画の世界だ。

 

勿論窃盗は許されざる重罪だが、多くの人命が助けられたかも知れないこもはまた事実。

彼らにとっては晴天の碧的とも言える事態だろうが、真に「人生とはドラマより奇なり」だ。

 

 

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【ネパール地震】昔訪れた古都の写真を見比べて涙が止まらなくなった

ネパールで起こった巨大地震の死者が、雪だるま式に増えている。

 

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【がれきの山と化したカトマンズのダルバール(王宮)広場】

 

私が見た地震の第一報を伝える記事では、死者はインドの14人、ネパールの5人だった。
 
次にチェックした時はいっきに100人を超えていた。
その後500人になり、800人になり、あっという間に1,000人の大台を突破した。
1500人、2,000人、2,500人、3,000人、4,000人、5,000人・・・
 
その後はネットをチェックする度に死者は増え続け、坂道を転げ落ちる雪だるまの如くにその数は膨れ上がっていった。
 
ニュースを見ることを、恐怖にすら思えてくるのだが、私は過去にも2度同じ思いを味わったことがある。
 
 
1度目は20年ほど前。
当時学生だった私は、TVから流れる緊迫したアナウンサーの声で目を覚ました。布団から這い出て、部屋を出ると、居間のTVが煙を上げるビルを映し出していた。
 
「神戸の方で地震があったみたいよ。怖いわねぇ。」
 
母親が気の毒そうに呟いた。
 
朝早かったこともあり、恐らくどこの家庭も通勤・通学の準備に追われていて、ゆっくりTVを見ている暇などなかった筈だ。
 
我が家もご多分に漏れずその口だったし、何よりもマスコミですら被害状況が殆ど把握できておらず、家族の誰もがさほど大したことがないだろうと思っていた。
 
しかし、そんな思いとは裏腹に、その後死者の数はとてつもない勢いで増え続け、最終的には6,000人を超えた。
 
今まで1,000人単位で人が死ぬという現実を目の当たりにする機会など無く、一瞬恐怖に身がすくんだのを今でも鮮明に覚えている。
 
 
2回目はご察しの通り、東北大震災の時だ。
 
確かに首都圏も経験したことのない程の揺れに見舞われた。しかし、所詮は「いつもより多めに揺れただけ」と、その時も完全にタカをくくっていた。
 
ところが現実はそんなに甘くはなかった。その後の大惨事は皆さんもよくご存知のことと思うが、結果的に死者・行方不明者は2万人を超えた。
ニュースが流れる度に見たこともない程のスピードで膨れ上がる死者の数に、再びニュースを見るのが怖くなった。
 
 
古い建造物、耐震・免震対策不足、山岳地帯、脆弱な地盤、入り組んだ街の造り・・・最悪とも言える要素が様々に絡み合い、死者は1万人を超えるとも言われているネパールの大地震
 
数年前に「日本の古き良き時代の田舎で見る夕暮れ」と少々長ったらしい名前を付け、ダルバール(王宮)広場の寺院の屋根から眺めた、美しい街並みはどこへ行ってしまったのだろうか・・・
聞くところによると、三大古都のダルバール広場は、壊滅的なダメージを受けたそうだ。
 
ダルバール広場はネパール人の誇りであり、随一の憩いの場であり、そして心の拠り所だ。
 
このニュースに思わず涙が出そうになる。
 
改めて自然の恐ろしさと人間の無力さを感じさせられる出来事だが、近年二度も同じ思いを経験した日本人として、自分に出来る最大限の協力をしていきたい。
 
 
最後に5年ほど前に、ネパールを旅した時に撮ったダルバール広場と彼らの笑顔の写真を載せさせていただきたい。
 
バックパックを担いでインド一周をしていた私は、何かにつけて熱過ぎるインド人と、焼け付くようなインドの気候、口に合わない水、香辛料たっぷりのカレー、至る所に糞尿が転がる劣悪な衛生環境にやられ、精神崩壊寸前に陥った。
 
旅費節約の為、外国人旅行者とは無縁の超オンボロローカルバスを乗り継ぎ、30時間かけてガンジス川の街バラナシ(ベナレス)に入った時のことだ。
 
最後に乗り継いだバスはインドの猛暑の中、つま先立ちがやっとの激混み状態の中、4時間半耐えた。
ただでさえ精神的にかなり追い込まれている状況では、タフが売り物の私も、流石にこたえた。
 
過酷な移動で極度の体調不良に陥り、道端で吐いている私を取り囲み、無理やり自分の提携している宿に連れ込もうとする悪質な客引きを気力で振り払い、30キロのバックパックを担ぎ、炎天下の中3時間かけて宿を探した。
 
荷物を置くとすぐに精神を落ち着かせようと、ガンジス川のほとりで、瞑想を試みた。
 
しかし、インドはそんな私を温かく包んではくれなかった。
 
目の前で燃え盛る遺体から立ち昇る煙は容赦無く私を包み、寄付をせがむ乞食達が我先にと私の腕にしがみつく。
 
その時私の中で何かが崩壊する音が聞こえた。
 
いくら断っても集団で取り囲み、木で出来た笛を法外な値段で売りつけようとするインド人の物売りどもを片っ端からガンジス河に放り込み、その足で宿を引き払った私は、這々の体で1台のおんぼろバスに飛び乗った。
 
山あいの酷いガタガタ道を24時間乗り堪え、目指したのはネパールだった。(インドで心身に不調をきたしたバックパッカーが、心の回復を求めて、ネパールに一時避難するのは、一種の定番)
 
ネパールの人々は優しかった。
穏やかな気候と、日本の古き良き田舎の風景、そして何よりネパール人の素朴で人懐っこい笑顔が私の傷ついた心を癒してくれた。
 
徐々に戦う心を取り戻した私は、決意新たに決戦の地インドに戻っていった。
 
彼らの笑顔と優しさを胸に・・・
 
 
 
【三大古都(カトマンズ・パタン・バクタプル)のダルバール広場】
 

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彼らの素朴で控えめな笑顔に癒された・・・

 

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犠牲者のご冥福と、復興を祈って・・・

 

 

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シャルリーに見る「風刺」と「表現の自由」(福島原発・イスラム)

風刺と表現の自由について考える。

3月18日、仏「シャルリー・エブド社」発売の風刺週刊誌に、福島第1原発の事件を揶揄する風刺画が掲載された。

 

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煙を上げる原発施設をバックに、防護服を着た作業員が、放射能で巨大化した鳥の足跡を見ながら「今年最初のツバメ」と話す。

 

 フランスのシャルリーと言えば、イスラム教の開祖、ムハンマドを揶揄する風刺画を数回にわたって掲載。事務所が狙われる事件も起きており、フランス当局からも警告を受けていたにも関わらず、イスラムに対する侮辱とも言える風刺を続行。

結果、12人が殺されたフランス紙襲撃テロ事件へ発展した。

  フランスにはアラブ系を始め多くの移民が暮らしている。フランス政府が労働力を補う目的で、移民を積極的に受け入れてきた結果だ。

度重なるイスラム批判対して、アラブ系移民の反発が大きくなった時、生粋のフランス人らは「フランス人のブラックユーモアを理解できない人間は、もはやフランス人ではない」と一刀両断に切り捨てた。

 そうした身勝手で自己中心的な態度は、さらなる悲劇を生むこととなる。イスラム国が起こした日本人人質殺害事件。 これはテロ事件を起こしたアルカイダイスラム過激派組織と対立するイスラム国が、世界の注目を自らの元に引き戻すために行ったものだと言われている。影響は計り知れない。

 

 同性愛者として描かれた預言者ムハンマドに、「やっと白くなれました」のコメントが付けられた首から下が骸骨のマイケルジャクソン、はたまたローマ法王、はてはイエス・キリストなどなど・・・

行き過ぎるフランス風刺画の餌食となった対象は、何も福島原発だけではない。

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 日本人からすれば全くもって理解できない、ブラックユーモア(嘲笑・風刺)センス。しかしフランスとはそういったお国柄なのだ。

 

苦い経験がある。

私がフランスをバックパックを担いで旅していた頃のこと。

道がわからなくて困っていた街頭で、あるフランス人の若者に助けられた。

フランス語の話せない僕のた為に、英語で懇切丁寧に、目的地までの行き方を説明していくれた。

私は大変恐縮しながら、心からお礼を言って別れた。

 

 思いの他、目的地まで時間がかかることがわかった私は、もう一度計画を練り直す為に、目の前にあった喫茶店に入った。

その店の店主はとても気さくなアラビア系フランス人で、すぐに仲良くなった。

その店主が私に教えてくれたことがあった。それは先程の若者が、別れ際に私に向かって言ったフランス語の内容だった。

少し長い言葉だったが、おそらくは「良い旅を」とか「フランスを楽しんで」的な内容だと思っていたのだが、とんでもない間違いだった。

 

「あなたは私達の政府が入国を許可したゲストなのだから、国民全員でもてなす義務がある。例えそれがフランス語もロクに話せないサルでもね。」

 

痛烈な皮肉だ。店主は僕に謝りながら、

「あの人に悪気はない。それがフランス人だ」と教えてくれた。

 

旅先であった日本人留学生は、留学したての頃に、

「フランスはあなたの国(日本)ほど先進国ではない。だから外からやって来る薄汚い【動物】を、空港で追い返す制度すら整っていない。」

と、言われたことを話してくれた。

 

 フランス人の痛烈な皮肉や風刺好きは、国民性だというのは良くわかる。しかしローマ法王が語った通り、モノには限度がある。

自らが絶対と信じて疑わない存在、自らの命より尊いと信じている存在が侮辱されたら、一体どうだろうか?卑劣なテロは絶対に許されないことは確かだが、一方でイスラム教徒の怒りが、到底測り知ることは出来ないものであったことも確かだ。

 

それでは福島の被災者達の気持ちはどうだろう?

津波により一瞬にして家族や家を失い、原発により故郷すら失った被災者の気持ちは?

表現の自由だか何だか知らないが、この世の人間として彼らの心を踏みにじっていい権利など、誰も持ち合わせてはいない。

 

 「風刺」が「パロディ」と違い、政治・社会・倫理に対する真っ向からの批判や嘲笑、冷笑である以上、必ずしもそこに純然たるユーモアを求める必要はない。

つまり「本気で笑えない」を地で行くのが本来の風刺だ。

 しかしそれが単に多くに人を傷つけるだけのものならば、それはもはや風刺でも何でもない。「表現の自由」という名の暴力にしか過ぎない。

 だからこそ基本的に風刺とは弱者(市民とその声を伝えるメディア)から、国家元首などの強者に向けて発せられるものでなくてはならない。それこそが長きに渡る絶対的な王政の元、権力に対する自己防衛の手段として、フランス庶民が身につけた、ブラックユーモアの原点なのだから。

 更に言えば万が一強者から弱者に向かって発信する風刺であるなばら、風刺の対象となる人間達が、基本的に共感できるものでなくてはならない。それがなければ「表現の自由」をの名を借りた、弱い者いじめ以外の何物でもない。

 そうった意味で、それを無視して「表現の自由」などと声高に唱えるフランス人は、自由の本質を履き違えていると言えよう。

 

 言葉を続けよう。そもそも大人の掲げる「自由」とは、自らの行動に全ての責任を負うという、絶対条件の上に成り立っている。

自由だからといって物を壊せば弁償(場合によっては器物損壊で刑事罰

自由だからといって人を殺せば殺人罪

自由だからといって何でも掲載したら・・・

 

罰則は無し?

 

残念ながらそうではない。

 

表現の自由」の「自由」が一体どの程度まで許されるものなのかは、時代が後付けで決める。殺人罪は昔も今も最高刑かそれに準ずる罰が用意されているが、イスラム創世期にムハンマドを揶揄するビラをまいたところで、全くもって問題にもならない。

しかしひとたびその時代の「自由」から逸脱した自由を主張するならば、必ずや誰かしらからその制裁を喰らう。

 

 それが今回で言えばイスラムからの反発であり、一連のテロだった訳だが、他国にまで多大な迷惑をかけた以上、この期に及んで彼らに自由を語る権利などない。  

 

シャルリーの歴史は1960年台あたりから始まる(その頃の名前は『Hara-Kiri』《アラキリ》 名前の由来は日本の腹切りから。ばかばかしくて意地悪なものという意味を込めて)

その頃までならまだギリギリ「内輪向けに発行したもの」で済んだのかもしれない。しかし高度な情報化社会においては、そうはいかない。

ならば情報化社会の一員として、責任ある行動を取るべきだ。それが出来ないようでは国際社会に向けてやれ自由国家だの、やれテロの撲滅などど越え高に唱える資格すらない。

 

 

余談だが「自由」というのは、実のところ最も厄介だ。

まだどこかで線引きしてくれた方が楽だと思わずにはいられないが、案外「自由」というのが一番「不自由」なのかも知れない。

イスラム教における「楽器」~燃やされる楽器・たばこ・酒~

イスラム国に燃やされる楽器。

これは即ち、イスラムでは楽器を使った音楽が禁止されているということなのだろう?

 

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イスラム教聖典コーラン」では、楽器が明確に禁止とされている箇所は見当たらない。

しかし、イスラム教徒が大切にしているのは「コーラン」だけではない。預言者ムハンマドが語った言行録である「ハディース」や、同じくムハンマドの慣行や範例をまとめた「スンナ」がこれに当たる。

ハディース」の中で、ムハンマドがたまたま聞こえてきた音楽に耳を塞いだり、楽器は悪魔の呼びかけだと語ったことが記されている。

 

詩歌に節を付けてアカペラで歌う光景自体は珍しくはないが、「ハディース」に則り、基本的に楽器による演奏を伴う音楽は、忌避される傾向にある。

スラム国により、楽器が燃やされる動画がアップされるのはこの為だ。彼らは如何に自分達が厳格なイスラム教徒であるかを、強烈にアピールしているという訳だ。

 

最近イスラム国が(IS)が「燃やす」ことをアピールするプロパガンダが目立つ。

イラク西部アンバル県バグダディでは、地元警察やスンニー派の武装組織「アス・サフヴァ」のメンバー達45人が生きたまま焼き殺された。

ヨルダン人パイロットが焼殺されたことは記憶に新しが、敵対する人間や楽器だけでなく、たばこ、酒など、イスラムにとって悪と見なされる存在が次々に焼かれている。

 

音楽・たばこ・酒・・・

これらはどれも人間を気持ち良くさせる。ついつい楽しくなりすぎて、ハメを外す。人に迷惑をかける。他の邪教や悪魔そのものに心を奪われてしまうとも限らない。

「人間とは堕落した生き物であり、だからこそ神が厳しい規則で縛ってやらねば人の道を踏み外す」

それこそが「神の思し召し」だと考えるのがイスラム教だ。

 

敵対する人間や人間を惑わす「悪」を、「地獄」と「無」の象徴である炎で徹底的に焼き尽くす。

こうした行為を執拗なまでに繰り返すことで、各国に対しイスラム国が如何に鉄のように硬い意思を持っているかを示し、世界のイスラム教徒に対して、厳格なイスラム国家であることを強烈にアピールする狙いがある。

 

 

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続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/news/2015_02_21/isuramukoku

セウォル号沈没事件‐韓国政府の最大の過ちとは?

セウォル号沈没事故の責任を問う裁判で、当時の海洋警察・救助艇長に懲役4年の実刑判決が下ったことが明らかになった。

 

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 http://www.bbc.com/news/world-asia-27032144

 

海洋警察が適切な救助を行っていれば、乗員全員の命は十分に助けられたと裁判所が判断した結果だが、それにしても海難事故で最も頼るべき存在のひとつであるはずの海洋警察に、みすみす見殺しにされたとあっては、犠牲者も浮かばれまい。

 

事故当初は「海運会社と船長、乗組員の無責任な態度が直接的な原因」だと、声を荒げていた朴大統領だったが、この判決により国にも非常に重大な責任があったことを、明確に裁判所が示した形となった。

死刑に値するとまで言われた船長、身勝手な船員達、杜撰〔ずさん〕な管理会社、プロ意識の欠片もない海洋警察など、正に韓国社会の闇を照らし出したような事件だ。

船員達には懲役5年~30年の実刑判決が下り、一番最初に逃げ出した船長には懲役36年の実刑判決が下った。

しかしながら、やはり一番の元凶は間違いなく国だ。

 

海難事故にまつわる有名な話に「カルネアデスの板」という話がある。

舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、
乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、
壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、
同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人が
つかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、
後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。
その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、
罪に問われなかった。

 

カルネアデスの板」(ウィキペディア

 

簡単に言えば自分が助かる為なら限度はあるが、基本的には他人を殺してしまっても仕方がない、といったところだ。

これはあくまでも物語の中での出来事だが、実は日本にもこの様な事件が起こった場合に、適用される法律が存在する。刑法第37条の「緊急避難」がこれに当たる訳だが、現在多くの国がこのような事件に対して、同じように「殺人致し方無し」というスタンスを取っている。

これをもって「だから船長以下船員の行動は、ある程度仕方がない!」なんて言うつもりは勿論ない。(そもそも、船長は最後まで乗客を守る義務がある。)

しかし緊急時において、自分の命を守る為なら、他人を殺しても構わないと、多くの国の法律に明記されている。何が言いたいかといえば、人間とは「かくの如く自己中な生き物」だということ。

皆さんは自分が確実に死ぬとわかっている、或いはそこまでいかなくても命の危険にさらされているかも知れない状況でも、他人の為に自分の命を犠牲にできるだろうか?

私は自分も含めて、多くの人間にとってそれは非常に困難なことだと思っている。そう考えれば事故が起こった時、人間が常に道徳的に正しい行動をとることを前提にして、対策を考えているようではダメだということだ。

何度も言うが人間とはとても自己中心的な行動をとる生き物だ。

これを前提にして考えるならば、船長が逃げる必要など全くない(つまり沈没しない)状況を作ることは大前提だが、極論を言ってしまえば例え事故が起こって船長がまっさきに逃げても、全ての人間の命が助かる対策くらいまで、真剣に考えているようでなくては甘いということだ。残念ながら韓国政府には、この様な心構えは微塵も感じられなかった。

最後に日本の災害対策に目を向けてみよう。世界に的に見ても、日本の災害に対する対策・対応・準備は実に素晴らしい。

2011年に日本で起きた「ありあけ号」沈没事故。高波を受けてコンテナを留めてあるチェーンが切れ、コンテナが片側に寄ってしまったことにより「ありあけ号」が沈没した事故だ。「セウォル号」とは同型の船体であり、沈没の経緯も非常によく似ている為、何かと比較されている。この事故を受けて国土交通省は、積荷の固定装置の取り付け義務や、固定方法の改善、さらには荒天候時の積荷制限など、即座に大幅な規制を発令した。

「もしも」の時に備え自衛隊海上保安庁、全国の警察は事件や災害に対する厳しい訓練に耐え、学校や自治体では避難訓練やら集団下校やら、もしもの時に備えた準備に余念がない。

「もしも」が現実のものとならぬよう、お役所は目を光らせ、企業では上司が事あるごとに、安全性だのコンプライアンスだのとがなり立てる。

留学やバックパッカー時代など、実に様々な国を見てきたが、ここまで徹底している国はまずないだろう。

それは取りも直さず日本人が「事故は起きるものであり、人間とは常に適切な行動が取れるとは限らない生き物だ」ということを、きちんと認識しているからに他ならない。

 

どんなに用意周到に対策・対応・準備をしようとも、残念ながらそれでも災害による犠牲を完全に無くすことは出来ない。日本政府や自治体が対策不足だと叩かれている姿を見て、韓国政府の認識の甘さを改めて思い知らされる。

 

一国の最高機関としての政府が打ち出す安全対策は、ほんの少し間違うだけでも、即、大勢の人の命に直結しかねない非常に重要なもの。故に常に「最悪の最悪」を想定したものでなくてはなくてはならない。

多くの人間の死を無駄にしない為にも、この事件をきっかけに韓国政府が変わってくれることを願って止まない。