「夫婦は常に妻が正しい。理由はない!」の理由

はてな匿名ダイヤリーに投稿された気になる投稿を取り上げた、はてなニュースの記事。

 

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 (Photo by sebadore)

 

妻がエネループを時計に入れると言ってきかない。「はてなの風景45」

壁掛け時計の電池が切れて、買い置きがないとき、エネループ(充電できる電池)を使うべきでしょうか。匿名の投稿者の家庭では、妻が「エネループを時計に入れるといってきかない」といいます。夫の言い分は、エネループはマウス用に買ったものだし、そもそも回転率の高い家電に使うべきだ、というもの。一度入れてしまうと長く取り替えない時計に使いたくないと主張しましたが、妻は「どっちでも同じだ」と譲りませんでした。
 

はてなニュース

 

 はてなニュースでは気になるコメントも抜粋している。

・トンチの効かせたコメント

「『君と一緒にいると時間が止まってしまえばいいのにと思うよ、そうあの時計のようにね』って言って抱きしめるのが正解。今夜は私にあなたのエネループを充電させてねってやかましいわ」

「んなもん、適切な電池の設置によるエネルギー効率と、パートナーとの間の関係性維持コストとを比較すれば、エネループを時計に入れるに決まってるじゃん」

 

・真面目?なコメント

「最初はエネループを入れて、単三を買ってきたら入れ替える」 

 

「マジレスすると時計やリモコンなどの微弱電流しか使用しないものにエネループは向かない」

「『もてあましている』エネループなら、使い捨て乾電池との差額は埋没費用として考えるのだろうが、『マウス用』にリザーブしているのならそれは実質的に『使用中』であり、設問の条件が適切でない」

 

男のロマン?的コメント

「壁掛け時計にはマンガン電池。それが男の選択ってもんだろ」

 

しかし、思わず感心してしまったコメントがこちら。

「夫婦は常に妻が正しい。理由はない」

 

夫婦は常に妻が上!この手の意見はまま聞かれることだが、いつ聴いても秀逸だ。

 

男性は良くも悪くも理論的に物事を考え、それに基づいて行動しようとする。

それに対し女性は理論よりも、感情で動く生き物だ。理論や理屈など何の役にも立たない。正に「立て板に水」である。

そう考えれば理論的にどうこうしようとする人間が、理論を超越して動く人間に勝つことなど不可能だ。

それこそ人間と神の戦いに似ている。

 

前に数人で心霊スポットに行った。
ラップ現象にギャーギャー騒ぎ立てる女性に、いくら霊と言われるモノの正体の殆どが、科学的に立証されているか説明したが、全くの徒労だった。
 「霊はいるのよ!」と一喝されて終わりだ。
それでも食い下がろうとする私に、
「そんなこと言ったって、怖いものは怖いのよ!」と、悲鳴にも似た雷が落ち、黙るしかなかった。
 
 話が逸れたが、最後はこのコメントで締めたい。
妻の言いたいことはたった一つだけ。『何でも良いから今すぐ時計を動かせ。』」
 
「黙ってコンビニで単三電池買ってこい」
 
「言い得て妙」である。
 
もっともこんなことを真剣に考えている時点で、「理屈っぽい」訳である。

セウォル号沈没事件‐韓国政府の最大の過ちとは?

セウォル号沈没事故の責任を問う裁判で、当時の海洋警察・救助艇長に懲役4年の実刑判決が下ったことが明らかになった。

 

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 http://www.bbc.com/news/world-asia-27032144

 

海洋警察が適切な救助を行っていれば、乗員全員の命は十分に助けられたと裁判所が判断した結果だが、それにしても海難事故で最も頼るべき存在のひとつであるはずの海洋警察に、みすみす見殺しにされたとあっては、犠牲者も浮かばれまい。

 

事故当初は「海運会社と船長、乗組員の無責任な態度が直接的な原因」だと、声を荒げていた朴大統領だったが、この判決により国にも非常に重大な責任があったことを、明確に裁判所が示した形となった。

死刑に値するとまで言われた船長、身勝手な船員達、杜撰〔ずさん〕な管理会社、プロ意識の欠片もない海洋警察など、正に韓国社会の闇を照らし出したような事件だ。

船員達には懲役5年~30年の実刑判決が下り、一番最初に逃げ出した船長には懲役36年の実刑判決が下った。

しかしながら、やはり一番の元凶は間違いなく国だ。

 

海難事故にまつわる有名な話に「カルネアデスの板」という話がある。

舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、
乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、
壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、
同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人が
つかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、
後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。
その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、
罪に問われなかった。

 

カルネアデスの板」(ウィキペディア

 

簡単に言えば自分が助かる為なら限度はあるが、基本的には他人を殺してしまっても仕方がない、といったところだ。

これはあくまでも物語の中での出来事だが、実は日本にもこの様な事件が起こった場合に、適用される法律が存在する。刑法第37条の「緊急避難」がこれに当たる訳だが、現在多くの国がこのような事件に対して、同じように「殺人致し方無し」というスタンスを取っている。

これをもって「だから船長以下船員の行動は、ある程度仕方がない!」なんて言うつもりは勿論ない。(そもそも、船長は最後まで乗客を守る義務がある。)

しかし緊急時において、自分の命を守る為なら、他人を殺しても構わないと、多くの国の法律に明記されている。何が言いたいかといえば、人間とは「かくの如く自己中な生き物」だということ。

皆さんは自分が確実に死ぬとわかっている、或いはそこまでいかなくても命の危険にさらされているかも知れない状況でも、他人の為に自分の命を犠牲にできるだろうか?

私は自分も含めて、多くの人間にとってそれは非常に困難なことだと思っている。そう考えれば事故が起こった時、人間が常に道徳的に正しい行動をとることを前提にして、対策を考えているようではダメだということだ。

何度も言うが人間とはとても自己中心的な行動をとる生き物だ。

これを前提にして考えるならば、船長が逃げる必要など全くない(つまり沈没しない)状況を作ることは大前提だが、極論を言ってしまえば例え事故が起こって船長がまっさきに逃げても、全ての人間の命が助かる対策くらいまで、真剣に考えているようでなくては甘いということだ。残念ながら韓国政府には、この様な心構えは微塵も感じられなかった。

最後に日本の災害対策に目を向けてみよう。世界に的に見ても、日本の災害に対する対策・対応・準備は実に素晴らしい。

2011年に日本で起きた「ありあけ号」沈没事故。高波を受けてコンテナを留めてあるチェーンが切れ、コンテナが片側に寄ってしまったことにより「ありあけ号」が沈没した事故だ。「セウォル号」とは同型の船体であり、沈没の経緯も非常によく似ている為、何かと比較されている。この事故を受けて国土交通省は、積荷の固定装置の取り付け義務や、固定方法の改善、さらには荒天候時の積荷制限など、即座に大幅な規制を発令した。

「もしも」の時に備え自衛隊海上保安庁、全国の警察は事件や災害に対する厳しい訓練に耐え、学校や自治体では避難訓練やら集団下校やら、もしもの時に備えた準備に余念がない。

「もしも」が現実のものとならぬよう、お役所は目を光らせ、企業では上司が事あるごとに、安全性だのコンプライアンスだのとがなり立てる。

留学やバックパッカー時代など、実に様々な国を見てきたが、ここまで徹底している国はまずないだろう。

それは取りも直さず日本人が「事故は起きるものであり、人間とは常に適切な行動が取れるとは限らない生き物だ」ということを、きちんと認識しているからに他ならない。

 

どんなに用意周到に対策・対応・準備をしようとも、残念ながらそれでも災害による犠牲を完全に無くすことは出来ない。日本政府や自治体が対策不足だと叩かれている姿を見て、韓国政府の認識の甘さを改めて思い知らされる。

 

一国の最高機関としての政府が打ち出す安全対策は、ほんの少し間違うだけでも、即、大勢の人の命に直結しかねない非常に重要なもの。故に常に「最悪の最悪」を想定したものでなくてはなくてはならない。

多くの人間の死を無駄にしない為にも、この事件をきっかけに韓国政府が変わってくれることを願って止まない。

選挙投票権は「権利」 or 「義務」 何故行かなければならないのか?

埼玉県所沢市で行われた住民投票の結果が、あまりにも酷いと波紋を呼んでいる。

航空自衛隊入間(いるま)基地に近い小中学校にエアコンを設置するかどうかを問う埼玉県所沢市住民投票が15日に投開票された。賛成が5万6921票で、反対(3万47票)を上回って過半数を占めた。投票率は31・54%で、4年前の市長選(34・68%)を下回った。

開票結果に法的拘束力はない。条例は賛否いずれかが有権者数の3分の1(約9万3千人)以上に達したら結果を重く受け止めるよう市長に求めたが、投票率自体が3分の1を下回った。今回の住民投票にかかった経費は約4千万円。

朝日新聞デジタル

 4千万円の費用と大勢の人間の時間と労力をかけて行われた住民投票が、「賛成」「反対」どちらも有効とされる3分の1の票を集められずに、単なる徒労に終わったという内容だ。

 

最近では国政選挙ですら、投票率が50%付近をウロウロする状況が続いている。

 

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思い起こせば昨年の12月末に行われた衆議院選挙投票率は、戦後最低となる52.66%だった。国民の半数が、国の行く末を決める場に顔すら出していないというのは、何とも嘆かわしい話が、日本で一番重要な選挙と言っても過言ではない選挙がこれなのだから、多くの日本人にとって、選挙の価値とは地に落ちる寸前、と言っても過言ではないのだろう。

 

皆さんはきちんと投票所に足を運んでいるだろうか?

 投票は国民が果たさなければならない、重要な義務のひとつだ。投票なくして、世の中がどうのこうのと語る資格はない。

こんなことを書くと必ず投票は「義務」ではなく、「権利」だと言う人がいる。しかしながら、権利というものは、往々にして義務と表裏一体だということを、忘れてはならない。

日本という国が民主主義国家である以上、国民の代表たる国会議員や、自治体の議会を構成する議員、時には法令を自分達によって決める権利がある。

しかしながら裏を返せば、これらを自分達によって決めなければならない義務があるということだ。こうした活動すら満足に行われていない現状に、一体何が民主主義国家だと言えようかと、恨み節のひとつも言いたくなる。

 

「自分ひとりくらい投票しても変わらない」と言う人がいる。

もし自分がそう考える人間のひとりならば、自分の周りに、同じことを言っている人がどれ程存在するか、考えてみて欲しい。如何に多くの力が失われているかということに、気が付くはずだ。

 

「投票したい立候補者がいない」と言う人がいる。

それならば自分の素直な気持ちを投票用紙に書いて、投票してみては如何だろうか?

仮にとある選挙の投票率が80%を超える高いものだったとしよう。その内半数以上の投票用紙に、「投票に値する立候補者無し!」「お前らなんかに政治は任せられない!」「選挙権放棄!」といった内容が書かれていたとしたらどうだろう。社会に与える衝撃はどんなものだろう?少なくとも役所から届いた投票所入場整理券を破り捨て、見なかったことにするよりは、よっぽど意味のある行動だとは、言えないだろうか?

選挙を見て見ぬふりをして、政治家が悪いと唾吐くことは簡単だ。しかしながら本当にそう思うならば、政治家に自分達の思いを伝えられる、数少ないチャンスをしっかりと生かすべきだ。何も行動を起こさなければ、何も変わらない。それは日常の小さな出来事だろうが、国政だろうが同じことだ。

 

厳しい意見も述べてしまったが、やはり選挙権は国民の大切な権利のひとつであることに変わりはない。

自分達の代表を自分達で選ぶことが出来る、そんな当たり前の事を当たり前に出来る喜び。板垣退助後藤象二郎らが、この素晴らしい権利を求め、命懸けで闘ったのは、今からほんの140年前のことだ。

残念ながらまだまだ世界には、独裁者による圧政に苦しみながらも、当たり前のことを当たり前に出来ない国に暮らす人々も、大勢いることを忘れてはいけない。

 

奇しくも選挙権年齢が「20歳」から「18歳」に引き下げられることが決まりそうだ。若者の意見発信や投票数の下落に歯止めがかかることを期待する一方、未熟な未成年の政治参加が、政治に悪影響を与えるとの懸念もある。

 

メリット・デメリットがあるのは仕方がないが、この政策が成功するか否かは、我々既存の有権者にかかっている。我々先輩が依然として投票に無関心では、新たに選挙権を獲得する人間の誰が投票に行くだろうか?

まずは我々が行動で手本を示すべきだ。積極的に政治参加し、或いは学校・職場、様々な場所で意見を交換することで、下の世代に政治に対する関心を高めさせ、政治に対する見る目、考える力を与えることだろう。

 

世界に誇る民主主義国家日本の未来の為に!

偉大なる祖先達に感謝しながら、自らに与えられた素晴らしい権利を、思う存分行使していきたい。

飛行機事故(航空機墜落)の確率と「乗客に日本人はいません」の謎

誰もが気になる飛行機事故に遭う確率とは?

 

少し前に台湾でトランスアジア航空235便が墜落する事故が起きた。

 去年からマレーシア航空が立て続けに墜落事故を起こした影響か、航空機の墜落事故がやたらと多いような気がする。

 

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2014年3月8日 マレーシア航空370便 乗客乗員239人不明

2014年7月17日 マレーシア航空MH17便 乗客乗員298人死亡

2014年7月23日 トランスアジア航空222便 乗客乗員48人死亡 7人負傷

2014年7月24日 アルジェリア航空5017便 乗客乗員116人死亡(推測)

2015年2月4日 トランスアジア航空235便 乗客乗員43名死亡 17名負傷

 

極めて低い墜落の確率

飛行機事故で命を落とす確率は、自動車事故で命を落とす確率に比べて、はるかに低いことは広く知られている。

しかしながら一度に亡くなる人間の数と、助かる確率が極めて低いこと、現場が凄惨を極めることなどから、人々に与えるインパクトは事故にの中でも格段に大きい。

ちなみに毎日飛行機に乗っていたとしても、航空事故に遭遇する確率は438年に1度なんだとか。

 

航空事故に遭遇する確率は、統計的に見ればごくわずか。飛行機に毎日乗っていても、事故に遭うのは438年に1回です毎日乗っても、事故に遭うのは438年に1回──はたして本当なのでしょうか。

同様な数字を、もう一つ紹介します。

 

■0.04人と0.07件

 

事故率を測る目安としてよく引き合いに出されるのが、「輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数」と「10万飛行時間あたりの死亡事故件数」という二つのデータ。

今年4月に刊行された『知らないと損するエアライン〈超〉利用術』(平凡社新書)の中で、著者である航空アナリストの杉浦一機氏は「輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数=0.04人」「10万飛行時間あたりの死亡事故件数=0.07件」という統計データを紹介しています。

この二つの数値について、詳しく説明しましょう。  

 

「0.04人」「0.07件」という数値を、杉浦氏は同書の中で、具体的な例に置き換えて解説しています。

それによると、輸送実績1億人キロあたりの死亡乗客数「0.04人」とは東京─ニューヨーク間約1万キロを12万5,000回往復して死亡事故に遭う確率、また10万飛行時間あたりの死亡事故件数「0.07件」とは飛行時間10時間のホノルル─福岡の飛行を14万3,000回往復して事故に遭う確率で、杉浦氏はこう述べています。

「仮に週に1度往復したとしても、(前者では)2,404年、(後者では)2,750年かかることになるので、人間の人生に比べれば小さい確立といえるだろう」

この「1週間に1往復」を「毎日」に置き換えて計算してみると、先に紹介した「438年に1回」という数字とそれほど誤差はなくなります。

杉浦氏はもう一つ、さらに面白い数字を披露しています。

 

■909人対1万805人

 

これは二つとも、ある輸送機関による事故の年間死亡者数(1998年)です。

「909人」は全世界での航空事故による死亡者数であり、一方の「1万805人」は、日本国内だけの自動車事故による死亡者数(事故後1カ月以内の死亡)です。

ちなみに主要国の自動車事故死は、米国4万1,967人、ドイツ8,547人、フランス7,989人(いずれも1997年)。

杉浦氏は、これらの数字をもとにしたI・グラード氏(IATA=国際航空運送協会=広報部長)の以下の発言にも触れています。

「米国1国の車による1年間だけの死者の数でも、ライト兄弟が初飛行に成功して以来の航空機事故の死者よりも多い」

 

All About  「数字見みる航空事故の確率」

 

 航空事故で命を落とすというのは、極めて運が悪かったとしか言い様が無い訳だ。

 

 例えば日本の航空会社では、1985年に単独の飛行機事故としては世界最大の死者を出した「日本航空123便墜落事故」(死者520人 負傷者4人)以降、墜落事故は起きていない。

ちなみに航空史上最大の惨事は1977年にロス・ロデオス空港(カナリア諸島テネリフェ島)滑走路で、パンアメリカンパンナム)航空1736便とKLMオランダ航空4805便が衝突し、583人の死者と59人の負傷者を出した事故だそうだ。

 

「乗客に日本人はいません」

 航空事故といえばもうひとつ。お決まりなのが「乗客に日本人はいません」、というアナウンスだ。

 昔「THE YELLOW MONKEY」(イエモン)が発表した歌の歌詞が元で、そのフレーズが差別だ何だと、話題になったことがあった。

ニュースキャスターは嬉しそうに
乗客に日本人はいませんでした
「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう
僕は何て言えばいいんだろ

THE YELLOW MONKEY 『JAM』より

 多感な年頃だったこともあり、ちょっとした衝撃を受けたことを、今でも覚えている。

勿論これは日本国民を喜ばせる為に、流しているのではない(そうした要素が皆無かと言われれば、そうでもないだろうが・・・)。

 

「乗客に日本人はいません」というアナウンスをわざわざ流す第一の目的はこうだ。

「日本国内外(特に海外)の関係機関に安否確認の問い合わせなんぞして、ただでさえ非常事態で、てんやわんやの関係機関に、ご迷惑をおかけするようなことの無いように。」

 

実のところは極めて合理的且つ、大人の対応を促す内容のメッセージだったという訳だ。

もっとも、日本人が含まれているいないに関わらず、この手のメッセージが一切流れないこと、即ち航空事故が起こらないことが一番なのだが。

 

最も何百トンもある鉄の塊が空を飛んでいること事態、今だに信じられないことだが・・・

 

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何故マクドナルドはここまで叩かれるのか?

日本を代表する外食チェーンの雄、マクドナルドが揺れている。

 

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先日発表になった日本マクドナルドの決算は以下のとおり。

日本マクドナルドホールディングスは、2014年12月期の連結決算で連結純損益が218億円の赤字となっていることを発表した。11年ぶりの赤字で、2013年12月期の51億円の黒字から一転、218億円の純損失を計上したことが明らかになった。売上高も2604億円から14%減の2223億円に。7年連続の下落だ。(ロイター)

中国上海福喜食品で製造された、賞味期限切れのチキンナゲットに端を発し、その後も相次ぐ異物混入問題などが発覚。客離れに歯止めがかからない。

外部のみならず、内部からもそのずさんな食品管理体制に苦言が上がっている。店員の中には、床に落ちた食材を、そのまま使っているのを目にしたとの情報もあり、働いてはいるが、自分では絶対に食べないとの声も聞こえてくる。

床に落とした食材を、そのまま使っているのを見たこともありますよ。それを防ぐために社員さんたちがいるんですが、労働時間も長いし業務もめちゃくちゃ多いから細かくチェックできてないし…。

〈中略〉
自分が働いてて言うのもなんだけど、絶対マックは食べないね。

女性セブン2015年1月29日号

 

しかしながら、こんな言い方をしてしまっては元も子もないが、飲食店などというものは、多かれ少なかれ「そんなもの」だ。「そんなもの」とは、私もいつくかの飲食店でアルバイトをしていた経験があるが、どこの店でも大なり小なり、客には言えないことのひとつやふたつはあったし、自分の働く店では、食事したくないというのが、正直なところだった。

工場から届く食材への異物混入に関しても、一定の割合で存在するというのが率直な感想だ。それは過去の様々なニュースをからも明らかだ。

先程の女性セブン2015年1月29日号は、

今は騒動の直後だからみんな気をつけてるけど、しばらくしたら、また何らかの問題が、浮かび上がると思います。

そんな想定内の従業員の言葉で締めくくられている。しかも多くの人にとっても、飲食店での就業経験は珍しいことでは無い。これらの知識や考え方は、ある程度浸透していると見てまず間違いは無い。

では何故これほどまでに、マクドナルドは叩かれているのだろうか。

 

私が考える理由は2つ。

ひとつは、マクドナルドが圧倒的な知名度と売上を誇る、外食産業の雄だからだ。

日本人の特徴的な性格のひとつに、判官贔屓がある。弱者である九郎判官義経を応援し、強者である頼朝を憎む。つまり、弱い者の肩を持ち、強者を憎む心理のことだが、どうしても大企業というのはマスコミや世間から目の敵にされ、その矛先が向きがちだ。

しかしながらそこは日本の外食産業を代表するリーディングカンパニー。その超大企業が超大企業然としているうちは、それをはねのけるに十分な力がある。

しかし、周りからの圧力が修復能力を上回った瞬間、その構造は急激に崩壊に向かって走り出す。食品問題の以前より、売上が上がらすに低迷。高級路線に走ってみたりと迷走に迷走を重ね、アメリカ人トップの人柄なども相まって、凋落の日々を送るマクドナルド。もはや日増しに強くなる世間の批判を、はねのける力は、残っていなかったという訳だ。

もうひとつは、「マクドナルド=危ない」というイメージが、確立されてしまったことだ。

先にも述べた通り、異物混入の発覚は、たまに出てくるニュースだ。そこに自分の働く飲食店での経験も重なり、飲食業界ならば、大差ないだろうという結論に達する。

しかしながらそこは確率論の世界。そして誰にとっても自分は特別な存在。星の数ほど作っていれば、異物の混入した商品も、極々稀に存在するだろう。コックにしたって、一日中フライパンを振っていれば、運悪く手が滑って食品を床に落とすことも、たまにはある。

あることはあると薄々分かってはいるが、まさか自分が貧乏くじを引くなどとは考えないのが、人間の自然な思考というものだ。

企業側にしても万が一当事者となってしまったところで、中小零細ならいざ知らず、天下の大企業ともなれば、そこは大企業パワーの見せ所。

・星の数ほど作ってれば、交通事故に遭うより低い確立で、そんな商品も出る!

・庶民のサイフに合わせて作ってるんだから、仕方ないだろ!

・嫌なら金を出して高級店に行け!

などの言われてみれば一理あるかも・・・と納得せざるを得ない無言の圧力を、「次は出来る限り気をつけます!」という外向きの言葉に包み、禿げた頭のひとつやふたつさげれば、一件落着。後はじっと待つのみ。人の噂も七十五日という訳だ。

 

ところが今回は、弱り目に祟り目の所に総攻撃をしかけられたから、たまったものではない。消費者は我先にと、こぞって粗探しに奔走し、マスコミはそれ見たことかと、大々的にはやしたてる。

雷に打たれるより程度と思われていた被害者になる確率が、携帯を失くすくらいの確率に上がった・・・なんて例えが適切かどうかはわからないが、

マクドナルドは危ない可能性があるかも・・・といった噂を、否定できないかも知れない・・・らしい」

というような、非常に曖昧であやふやな概念を、

マクドナルド=危ないかも」

という、よりはっきりとした概念に、変えてしまったことは確かだ。

 

巨大な負のスパイラルに陥ってしまった感の否めないマクドナルド。それでもまだ日本を代表する企業との奢りが、真摯に問題に取り組むべき姿勢を、狂わせてしまっている。しかし如何に天下のマクドナルドと言えど、悠々閑々たる面持ちで、大企業病という、病の治療をしている暇は無い。

果たして早い段階で手を打たなければ、取り返しのつかないところまで来ていることを、自覚することは出来るのでだろうか?

マクドナルドの行く末を興味深く注視しているが、私にとっても、小さき頃から親しんだ思い出多きマクドナルド。是が非でも復活して欲しいものだ。

揺れるヨルダン政府!そのあまりにも厳しすぎる立場とは!?

ヨルダン政府が揺れている。

 

ヨルダン

 

日本人の人質は2人とも殺害され、ヨルダン人パイロットとサジダ・リシャウィ死刑囚との人質交渉も、遅々として進んでいない。この状態にヨルダン国民の怒りの矛先は、アブドラ国王を中心とする、ヨルダン政府に向かいつつある。

 

ここでヨルダン政府が抱える背景を整理してみよう。

そもそもヨルダンは、イスラム穏健派であるパレスチナ系住民が70%を占め、伝統的に軍事介入を支持してはいない。

1990年にイラクがクェートに侵略し、それに対してアメリカを中心とする多国籍軍が、イラクに軍事介入する事件が起きた(後にイラク戦争へと発展)。この時もヨルダンの前国王であったフセイン国王は、世論に従って、最後まで軍事介入不参加の姿勢を崩さなかった。

それだけにフセイン国王の息子で、現国王であるアブドラ国王が、イスラム国に対する積極的な軍事介入を行ない、戦闘機を始めて海外派遣するなどしたことは、ヨルダン国内でも大きな波紋を呼んだ。

こうした背景には、ヨルダンで頻発する自爆テロなど、イスラム過激派の攻勢により、国王の権威が弱体させられつつある現状を、打破する為の措置であると言える。しかしながら、世論の反対を押し切って実行したイスラム空爆で、戦闘機のパイロットが捕虜となってしまうという、大事件が起きた。しかも、パイロットはヨルダンでも名門部族を束ねる指折りの名家出身。ヨルダン政府内にも一門出身の官僚が大勢いおり、国王を更なる窮地に追いやった。結果的にはそんな状況が、イスラム国に付け入る隙を与えてしまった訳だ。

安倍総理が中東を訪問して、2億ドルの経済援助を表明した時点で、日本人人質の殺害を示唆。1人をあっさり殺害し、残る1人の釈放の条件として、ヨルダンで60人以上が死亡した、自爆テロの実行犯である、サジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を要求。要求を突きつけられたヨルダン国内から、パイロットの救出が優先との声が挙がるのは必然の流れ。そこでもう1人の日本人を殺害してみせる。

そうすることで、様々な関係機関の利害や主張が複雑に絡み合い、ヨルダンを更なる混迷へと誘う、というシナリオなのだろう。

 

もう一度まとめてみよう。

国内で攻勢を強める対テロへの強硬姿勢を打ち出す為に、国民の反対を押し切って軍事攻撃に参加。

その結果、政府内に多数の身内を抱える、超名門出身パイロットがイスラム国に捕まり、国内で攻勢を強めるテロリストの象徴とてのサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を求められる。

同時に捕らわれていた日本人人質は、日本政府やヨルダン政府の対応が遅いとして、全員殺され、パイロットについては安否すら不明。どんなに綺麗事を言おうとも、経済地盤の弱いヨルダンを、長年に渡って支え続けれくれた日本との関係に、暗い影を落とすことは必至。

日本政府としても、例えそれが人道支援であっても、迂闊に経済援助できなくなったこともあり、今後の両国を巡る外交は、慎重を極めることは必至。

更にこの事件を受けて、米英は地上軍の投入を検討すべきとの新たな姿勢を打ち出しており、イスラム国と国境を隔てるヨルダンにとっては、これまた頭の痛い問題が浮上。

そんなところだろうか?

それにしても同じ人間が殺し合う。何故人間とはこれ程愚かな生き物なのだろうか?

悲しみや憎しみが、また新たな悲しみや憎しみを生む。果てしない連鎖が一体いつになったら、断ち切られるのか?残念ながら、当分終わる兆しは見えない。