【東日本大震災】津波で消息絶った妻 骨つぼに2人の店跡の砂入れた夫「来年にはけじめ」

東日本大震災で妻が行方不明となった宮城県石巻市の尾形勝壽(かつじゅ)さん(74)は、胸にわだかまりを抱えたままだ。営んだラーメン店を津波が襲い、妻きみ子さん=当時(59)=は消息を絶った。「もしかして母ちゃんが帰ってくんじゃないか」。店の跡できみ子さんが愛用したヘラを見つけて商売を再開したが、心の区切りはついていない。弔う日のためにも、手掛かりを待ち続けている。

勝壽さんときみ子さんは48年前に結婚。沿岸部で「札幌ラーメン 味平」を開業し、夫婦で切り盛りした。きみ子さんが作る「石巻焼きそば」は人気メニューの一つだった。

2011年3月11日。営業中の店が激しく揺れた。ドカーンと音が響き、水が足元からあふれてきた。「お父さん! ほれ津波だ!」。きみ子さんの最期の声が聞こえた後、勝壽さんは背丈を越えた海水にのみ込まれて意識が遠のいた。

勝壽さんはあばら骨を折る重傷を負った。きみ子さんの姿は見当たらなかった。津波の後に起きた火災で店は真っ黒に全焼した。

約1週間後に店の跡で2本のヘラが目に入った。ヘラは、焼け焦げていなかった。次女の洋子さんが不意に「お母さんがまた焼きそばを作れって言っているんじゃないか」と話した。

「もう一度やろう」。勝壽さんは発奮した。2カ月後に兵庫県姫路市であったご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」に特別参加した。石巻焼きそばの移動販売も始めて各地を巡り、復興の道を歩む石巻を発信し続けた。

鉄骨の骨組みだけとなった店跡は5年前まで「震災遺構」として残し、記憶を伝える語り部も務めた。きみ子さんならきっと「悲しむ人をこれ以上出さないために伝えて」と背中を押すと信じたからだ。

気力を振り絞って歩んできた9年。だが、きみ子さんの発見には至らず、心は晴れない。店の跡地は復興土地区画整理事業でかさ上げされ、公園に様変わりした。日に日に姿を変える町並みに、きみ子さんを捜す困難さが胸に迫る。

「母ちゃんのお墓はまだ建てたくない」。自宅の仏壇に置いた骨つぼには店跡の砂が入っている。きみ子さんの遺品と呼べるものは何もない。勝壽さんは「来年で震災から10年。その時にはけじめをつけないといけない」と静かに語った。

神戸新聞

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