【仏の教え】『悪いと知りつつ悪事を働く』『悪いと知らずに悪事を働く』より悪いのはどっち?

『悪いことだと知りつつ悪いことをする』

『悪いことだと知らずに悪いことをする』

あなたはどちらがより「悪人」だか知っていますか?

悪いと知っているのに悪いことをする奴が悪い!!!

ついついそう思ってしまうかも知れませんが、実はそうではありません。

悪いことと知っている人は、当然「罪の意識(自覚)」があります。自覚は反省や慎みを生む可能性を秘めているということを意味します。

簡単に言えば罪の意識とは「後ろめたさや後悔という心の重み」を背負うことであり、ひいては改善につながっていく可能性があるかも知れないということですね。

電車の優先席に座って、後から乗ってきた老人を寝たふりをして無視してしまう。

でも心の中は穏やかではない(おばあちゃん御免なさい。私は薄情な人間です。でも今日はホント疲れてるんです。元気な時は必ず譲りますから・・・)

そう思い悩んだあなたは、決して「悪人」ではない。そう仏教は説いているのです。

罪悪感

ところが知らないで悪いことをする人は、それが悪いことだという自覚がないのだから、改善はおろか、反省するできませんよね。

優先席だろうが何だろうが、空いていれば早いもん順。

そう思っているから、一生席を譲ろうなんてことにはならない。救いようのない悪人というわけです。

最近では【自分だけ、あるいは自分と仲間さえよければそれでいい】という、自己中心的な考えの人間が増えてきているような気がするのですが、元をたどればこの、悪いことを悪いと思わない「悪人」が増えているからではないでしょうか?

身近なところでは電車の中で大容量で音楽を聴く人間は、別にそれが悪いことだとは思っていないのでしょうし、重大なところでは、近年犯罪者が裁判で反省も謝罪も口にしない事例が多く報じられるなんていうものがあるかも知れません。

罪悪感ゼロ

嫌な世の中になったものだと嫌気が差してしまいそうな今日この頃ですが、最後にこんなニュースをひとつ。

高1が涙、道に散乱した紙拾い集め 鴻巣署が感謝状…見ないふり辛い

埼玉県の鴻巣署は4日、県道に散乱していた古紙を一人で回収した行田市在住、県立鴻巣高校1年の湯本里咲さん(16)に感謝状を贈った。

見て見ぬふりをして通り過ぎる自分を受け入れられず、後先のことを考えずに一心不乱に集めた行動は、周囲の心を揺り動かした。  

自転車で通学している湯本さんは昨年12月21日夕方、鴻巣市屈巣の県道を通りがかった際、新聞紙や折り込みチラシが半径約3メートルにかけて大量に散乱しているのを目の当たりにした。

一度はそのまま通り過ぎたものの、「何もしていない自分に辛くなった」と戻って来た。  

当初は古紙を自転車の前かごに積んで自宅に持ち帰ろうとしたが、収まり切れない。約500メートル離れたコンビニエンスストアへ行き、ごみ袋を買って戻り、再び拾い集めた。現場は交通量の激しい通り。湯本さんは青信号になるたびにひたすら拾い続けた。  

午後5時20分ごろ、同署に「女子高生が落とした荷物を一人で拾っている。かわいそうだから助けてほしい」と連絡が入った。

署員が駆け付けると、すでにごみ袋3袋分、計10キロの古紙が回収されていた。持ち帰り方法を考えていた矢先に署員が到着。安心した湯本さんの目からは涙が流れた。

高校ではバスケ部に所属している湯本さん。学校周辺のごみ拾いなど美化活動をしてから朝の練習に取り組んでおり、「学校でもやっているので当たり前と思って拾いました」と振り返った。    

市村知孝署長から感謝状を贈られ、湯本さんは「周りの事をもっと見られる一年にしたいです」とほほ笑んだ。

高1が涙、道に散乱した紙拾い集め 鴻巣署が感謝状…見ないふり辛い

埼玉新聞

仏教的な考え方をすれば、「何かしなきゃ!でもごめんなさい。時間がないんです。」

辛さを心に抱え、そう考えて通り過ぎた時点で、彼女は十分悪人ではないわけです。

しかし彼女はそれで終わりにはしなかった。

「悪いことを悪い」と思うことが第一ですが、「その先」を見ることも忘れてはいけない、つまり、思うだけではなく、いつか行動に移す勇気を忘れてはならないわけですが、まんまと高1の少女に「その先」を見せつけられてしまいましたね。

女子高生の勇気にはただただ感服するのみですが、だからと言って私も含めて世の中の「大人達」は、このまま黙って見ているわけにはいきませんね!

何たって高1の少女に負けたとあっては、大人のメンツが丸つぶれですから!

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